コッコッと音がして、いやな人に捕まった。
硝子戸を外からノックした虎さんが、面白いものを見たという顔で狭い店内に入って来る。
嫌と言うこともないが、女性に前後を挟まれてレジに並ぶ俺を揶揄うに決まっている。高校時代からそういう子供みたいなところが、この二歳年上の藤丘先輩にはあった。

「奇遇だな、朝也もホワイトデー?」
「も、ってことは貴方もですか」
「そ。麻衣ちゃんからのリクエス……って、お前、そんなに買うの?」

一番大きな四角いギフトボックスには小ぶりのカヌレが三十個入っている。
それとは別にオーバルの十五個入りを二つ、その一つは俊平のために此方でフレーバーを指定したものだ。ラム酒ベースのプレーンにカカオ、抹茶パウダーをまぶして黒豆を添えたもの、日本酒を使った柚子、クラッシュした果肉が甘酸っぱそうなフランボワーズと絶対に外せないクランベリー、ブランデーベースのアプリコットやリキュールを使った季節限定のサクラ……。
俊平が好みそうなものを詰めて貰ったら、桜の樹を閉じ込めたようにピンクと緑と茶色で埋まって、鼻先を出会った頃の春の校舎の香りがかすめた気がした。

「ホワイトデーのお包みで宜しいですか?リボンは、こちらからお選びください」
「では、白でお願いします。ひとつは判るように変えてください」

シャンパンゴールドの箱に掛かるリボンはホワイトデーのメッセージが入った純白のものとピンクの二色から選べたが、俊平には通常の店のロゴが入った中から、箱と同色のリボンでシックに纏めて貰うことにした。勘処のいい虎さんが直ぐにそれと気づいて、背中をバンと叩いてくるのが、どうにも居心地悪い。

「俊平からのリクエスト?」
「いいえ。この店は知らないと思います」
「秘蔵の店ってやつ?」
「そういう店の一つや二つ、あっても良いと思いませんか?」

「生意気」と鼻で笑った虎さんが、肘で腕を突いてくる。
会計を済ませてラッピング待ちの番号札を受け取ると、俺は他の客の迷惑にならない隅へ虎さんを押しやった。さもなくても、右にも左にも頭頂ばかり見下ろすような店内で、長身の男が二人、邪魔にも程があるだろう。

「この店は初めてですか?」
「そ。このあと、麻衣ちゃんに会うんだけど、一緒に来れば良かった。店探すのにこのへん二周もしたし、こんなに種類があるとは思わなかったしさ……」

確かにこの辺りは商業ビルが多く、人垣に隠れて見逃すような小さな店だ。
通路側は硝子張りになっていて、通りを行き交う人々が一様に此方を見るのが面白い。窓越しに整然と並ぶ菓子の華やかさが目を引くのだろう。店内はこぢんまりとした箱のようで、ブラウンカラーを基調とした洗練された佇まいをしている。
虎さんが何を選んで良いか迷いそうだと言うので、初めてなら店に任せるのも手だろうと言うと、

「それだな」

彼はアッサリ頷いた。

「今日は休みですか?」
「そ。艶夜に振られちゃってね」

休日に虎さんが一人でいる時は、大抵、艶夜さんに用事があるか趣味のバイクに興じている時で、それでも丸一日ひとりでいることはないと、以前、艶夜さんが言っていた。退屈と独りが嫌いな虎さんの周りには好きな時に好きなだけ付き合ってくれる友人が年齢や男女を問わず大勢いて、麻衣さんもその一人らしい。街で一緒にいるところへ出くわしても紹介されたぐらいだから、後ろ暗い関係ではなさそうだ。

「カヌレって旨い?」

と、訊かれて、僅かに返答に困った。この『旨い?』の答えはあまりにも人それぞれで、甘党だと聞いて饅頭が苦手だった人もいたから、少し身構えてしまう。もっとも俺の知る限り、虎さんの味覚は雑食ほどに幅広いから問題はないと思うが……。

「ええ。手土産にも喜ばれますよ」
「艶夜も食うかな?」
「いいんじゃないですか?」
「オススメは?」
「プレーンとラムレーズン、あと、ブランデーチェリーですね」
「俊平には?」
「入れましたよ」

シレッと恋人の名を口にして、もう意識は『麻衣ちゃん』へのお返しより艶夜さんに買うカヌレでいっぱいなのが、顔を見れば判る。どんなに友人が多くて女性にモテても、虎さんの頭から彼の存在が離れることはない。艶夜さんは特別中の特別だ。

「クランベリーは入れた?」

今度はバレンタインデーに俊平が俺にくれたカップケーキのことを持ち出して、あいつの好きなクランベリーは入れたか?と訊いてくる。
「ぬかりなく」と答えた俺に、彼は「上出来」と満足そうに笑った。
ひと月前、俺はそのバレンタインギフトを夕食のあと、俊平が『紅茶を淹れるよ』と言ったごく日常的なさりげなさの中で受け取った。一足早く春が訪れたかのような色とりどりのカップケーキに、俊平が部屋いっぱい広げたカンバスや大きなパレットに絞り出した絵具の色を思って、七年ものNY留学を血肉にした画家、環俊平の背中を誇らしい気持ちで眺めたものだ。
ところが、そんなすげぇヤツが自分に向けられる好意には呆れるほど自信がない。
『お前の好きな物なら何でも知っている』と言わんばかりに俺が好みそうな味ばかり集められた中に、ひとつだけ、俊平が好きなクランベリーが混ざっていた。俺は、またかと思った。俊平は事あるごとに俺の関心が離れていた七年を経ても尚、自分に在るかを試したがる。だから、ヤツの中で正解は、

『俊平はクランベリーだよな?』

と、俺が言うことだったはずだ。
きっと、性格の判りやすさで言えば、自己主張の激しい俊平のほうが俺以上に好きも嫌いも考えていることも明け透けだと思うが、アレは自分ばかりが周囲にアンテナを張っているという顔をして、逆の眼に本当に疎い。俺とて俊平の好きな物は解っているつもりだし、今のあいつが何に興味があって、どんなふうに見ているのか、劣らず関心があるのだが……。そう思ったら、好きだと知っているクランベリーを好きだよな?と確認するのは俺の中で不自然に思えて、俺は何も訊かずに俊平にクランベリーのカップケーキをサーブした。
その時のあいつの顔、
初めて出くわした食べ物を見るようなソワソワした調子で、俺に『合格』って笑ったな……。

「艶夜さんから聞いたんですか?」
「クランベリートラップ……?環は判りやすいねって、あいつ眼ぇ細めてよ。お前がちゃんと気付くか心配だから電話しようとか言い出して、ほっとけって言ったんだ」

カップケーキを買うのに艶夜さんを誘ったと俊平から訊いていたから、話の出処はそこしかないが、クランベリートラップなんてゴシップ記事の見出しにもならないネーミングは虎さんが、ふざけたものだろう。失笑しかない。

「好物ひとつ忘れたぐらいで変わるような関係ならそれまでだし、あの理屈屋の俊平の思惑は、もっと別の所にあったのかもしれねぇけど、どのみち、お前らのドラマにチャチャ入れるとか無粋だろうよ?」
「色々バカで、可愛いことしてくれますよね」
「可愛いなんて言ってるお前も大概だがな?俺だったら、七年間音沙汰なしで好物も何も憶えてられっかコノヤローだし、面倒臭ぇわ」

そんな言い方をしても、何だかんだ仲間内で一番、面倒見が良いのはこの人だ。一ヶ月も前の、それも他人のクランベリートラップ?なんて、ふつうは気にも留めないだろう……。

「おかげさまで平穏です」

苦笑いした俺に、顛末は見届けたと言わんばかり、虎さんは「おう」と笑った。

 

 

レジの奥では店員が扱いにくそうなオーバルの箱にリボンを掛けている。
一連の動きに無駄はなく、端を揃えてハサミで切るチョキンという音が小気味良い。

「今日、俊平は?」
「ダンナの留守中に美人妻とデートだ、って浮かれていましたよ」
「は?それ、やばい話?あいつが休日に、お前より優先する相手がいるとか有り得ねぇだろ」
「俺は遣り残したことがあって、出社していたので」
「止めるだろ、ふつー」
「……ぁあ?……そうですね」

店員に気を取られて虎さんへの返答がなおざりになっていたことに、少しして俺は気付いた。俺の言葉が不十分だったせいで彼の想像が良からぬ方へ逸れて行くのが、喜怒哀楽が表に出過ぎるその表情に見て取れる。たぶん俊平は今、虎さんの頭の中で人妻を誑かすけしからん男になっていて、本当ならここで修正するべきところを虎さんの反応が可笑しくて、つい悪戯心が湧いてしまった。

「年下で、まだ小さなお子さんがいるそうですよ。俊平も隅に置けませんね」
「魔が差したにしろ、人妻はルール違反だ。やめさせな」

ほう、そう来ますか……。

「ベビーカーを押すの初めてとか喜んでいたけど、あいつにもそういう気はあったんですね……」
「ぁあ?何だよ。お前さ、俊平もやっぱり女がいいんだとか考えんじゃねーよ?今すぐ呼び戻せ。本気になっちまったら、カヌレぐらいじゃ釣れねーぞ?」

イヌネコじゃないんだしそりゃそうだろうと出かかったが、口を開けば笑ってしまいそうで、俺は天井を仰いだ。ダメだ……。この人は根が善人すぎて俺の言葉を疑うということを知らない。たとえ担がれているにしても、いっそ、その方がマシぐらいなつもりで、本気で心配していそうな気がする。

「虎さん」
「あいつ、マジでそんな女いるのかなぁ?」
「と、言うと?」
「いつものアレ。お前の気を引きたいだけの小芝居?……にしちゃ、タチが悪いか」
「ホワイトデーのお返しを一緒に選んだので確かなんじゃないですか?幼児は何を食べる無添加なら平気かと、キャラクターがついたお菓子も買い込みましたからね」
「うわ、そんな俊平、見たくねぇわ……」

虎さんには憎まれ口ばかりきいて尖がっている俊平だから、本当は案外、子供好きなのをイメージ出来ないのだろう。もっとも、子供好きと子供に好かれるかは別問題のようで、笑いかけては泣かれ、抱きあげてはお漏らしされているようなヤツだが……。

「残念なのは、彼女、俺に顔が似ているらしいですよ?」
「は……?」

いい加減、気付くだろうと思ったが、俺には妹がいる。
俊平は今日、妹が好きなフィナンシェと紅茶のギフトを持って、姪には沢山のお菓子と途中で絵本を買っていくと言っていた。俺も一緒に行くつもりだったが、俺がいると更に姪に懐いて貰えなくなるのが不服らしい。今日は天気も良いし、今頃、危なっかしい調子で意気揚々とベビーカーでも押しているのだろう。
虎さんは怪訝な顔つきで俺を見る。いい加減、種明かしをして、俊平を姪っこに獲られない内に呼び戻そう……。

「虎さん、俊平は俺の妹に会いに行ったんですよ」
「ぁあ?」

鳩が豆鉄砲を食ったような顔が、みるみる、やられたって顔になって、

「朝也、お前な……」

彼は心底、安心したというふうに笑った。
札の番号が呼ばれてレジへ行くと、思った以上に気恥ずかしい大荷物になっている。
リボンが傷まないように紙袋を二手に分けてくれたようだが、手渡し用の余分な袋は職場へ持って行くための大き目の一枚だけ貰って、あとは断った。エコだ何だと云うけれど、こういう慣習は中々、なくならないのだなと思う。
このあと、俊平と落ち合って外で食事も悪くないとジャケットの上から携帯の在処を確かめたとき、通知音がポンと鳴って、キラキラの眼をしたネコがジタバタするスタンプが送られてきた。……俊平だ。

『顔が見たくなった。まだ、オフィス?』

同居していて顔が見たいもないもんだが、こういうことを臆面もなく言ってくる。
つい、口許が綻んだ俺の横合いから虎さんが覗き込んできて、両手で顔を覆うと「恥ずかしい」と道化た。どこにいる?と返信すると、妹を家まで送って出たところだと言う。続けてポンポンと『迎えに行く』『何時?』と入って、アホ面したペリカンみたいな鳥が『オツカレェエエ』と叫んでいるスタンプが俺を労って?くれた。

「アホだな、あいつ」
「いつものことです。車で行ってるので呼びますけど、麻衣さんとは何処で?乗って行きます?」
「お前んちの二駅手前。俺まで便利使いして、あいつ、むくれねぇ?」
「カヌレで釣れるので平気です」

話す間も俺は俊平と遣り取りをしていて、居場所を言うと『30 mins』と返って来た。
それなら買い物しちまうわと虎さんは俺の傍を離れ、家の近くまで戻ることになるなら夕食はどうしようと思ったところで、また、俊平からヘンなスタンプが入る。今度は、あまり可愛いとは言えないハシビロコウが親指を突き立てていて、

『色々おかずくれた』
『コロッ』
『カボチャの』

コロッケとカボチャの何かなのか、カボチャのコロッケなのかは判らないが、どこかに車を停めたタイミングで急いで送信してきたのだろう。
『了解、急がなくていい』と手短に返信したが、それは、しばらく既読にならなかった。

 


日が傾き始めて、客足の減った店内に飴色の風が吹く。
薄らと疲れを滲ませた店員たちも二言三言、交わし合って、時折、やわらかな笑顔を見せるのが好もしかった。

「そういえば、バレンタインデーに艶夜さんにチョコを贈ったそうですね?」

カヌレを物色中の背中にだけ聞こえるような声で問うと、待ってましたとでも言いそうな満面の笑みを浮かべて、虎さんは「その話、訊く?いいぜいいぜ」と、唄うような調子で言った。

「俊平の付け知恵に乗っただけなんだけどさ。何となくバレンタインっつーと、一緒にチョコケーキでも食う?みたいな空気だったのが、今年はそれらしい感じで過ごせたよ」
「艶夜さん、驚いたんじゃないですか?」
「それがさ、余り物を寄越す気?って顔されたの、最初は」
「それは、どういう……?」
「俺が女の子から貰った物を食べきれないから横流しした、みたいな?慌てて、ちげーよ、俺がお前に買ったんだよっつって、もう、こっ恥ずかしいから後は笑うしかなくて……」

艶夜さんを思うとき、この人は少しだけ幼い顔をして良く笑う。

「いい時間だったようですね」
「うん、上々」

好奇心旺盛な虎さんの買い物は大雑把なようで、理に敵っている。
この日、店頭に並んだカヌレは十二種類。十五個入りの箱に決めると端から全種類をひとつずつ、そこへ、自分が気になるものを追加していく。相手の好みはお構いなしかと思えば、

「好きなものしか食わねぇとか冒険心が足りねぇよ。自分で買うと、毎回、同じもの買っちまうとか無くね?それ、新しい物を知るチャンスを逃してっから!」

と、いうことらしい。虎さんから貰い物をすると、いつも、統一性のないものが入っているのは、気の置けない相手ほど有ったら有るだけか直感に頼る、この買い方によるものだと知った……。

 


俊平から、もうすぐ着くと連絡が入った時には予定を五分ほど過ぎていた。
信号の傍のドラッグストアの駐車場へ停めると言うので、俺たちも場所を移る。今年の桜の開花は例年を一週間も早まりそうだと今朝のニュースで言っていたが、街路樹の葉を揺らす風はまだ冷たい。今夜は長めの湯に浸かって、食後にカヌレでも食べながら、ゆっくりと俊平の話を聞こう。妹と何を話したのか、姪には懐かれたのか、送られてきたスタンプの数が多いときはテンションの高いことが多いから、きっと今日はゴキゲンで、話したいことがいっぱいあるに違いない。
甘い香りに鼻孔をくすぐられながら、俺は俊平の迎えを待った。


Happy White Day to someone special.

 

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