ぽっかりと4人の休日が重なった晴天の土曜日、俊平の『青が見たいね』で夜明け前から車を走らせたのは離島の海水浴場だった。季節的には秋で遊泳には向かないが、海の透明度が増すのはむしろ、これからと言っていい。ダイビングシーズンの到来に沸くダイバーや夏を惜しむ人々で港は賑わっていた。
「まだまだ、暑いね」
と、眩しそうに額を拭った艶夜が吹き抜ける風に目を細めてそっと囁く。
「虎、潜りたくて堪らないんだろ」
「今回は急だったからオアズケ。お前らと浅瀬で水遊びでもするよ」
俺の趣味の一つはダイビング、海を見ると血が騒ぐのを艶夜は子供でも見る眼で微笑うんだ。
「似非リゾートにしては良く出来ていますね」
「白けること言うんじゃねーよ、朝也」
俺たちは対岸の駐車場に車を停めてフェリーで渡って来たんだけれど、リゾート化計画に向けて試験的に無人島を丸ごとポリネシアン風リゾートに設えた期間限定イベントだと言うから、そこそこ頭のブッ飛んだ主催者だと思う。どこまでが自然のもので何が人工物かは一寸見には判らないが、外国人スタッフに褐色の大男がいたりスピーカーでタヒチアンビートを流していて、南国情緒を気軽に味わうには面白い趣向に思えた。
「酔狂は突き抜けないとつまんない」
と、俊平も言うし、艶夜も目新しい景色に眼をクルクルさせている。朝也は考古学者のようなしかつめらしい顔つきでティキのお面に似たオブジェを眺めていて、誰一人、引き返そうとは言わなかった。
時折、火山の噴火を思わせる地鳴りがするのは演出か、爽涼のまるい風が熱帯植物の大きな葉を揺らし、俺ももう、ここはポリネシアだと思い込んで、とことんマリンスポーツを楽しむ気でいた。
「まずは着替えてカヌーだな」
と言うと、途端に俊平の足が止まって、朝也に肩を抱かれて渋々歩き出す。
「苦手か?」
「怖くねーし」
怖いらしい……。
ちらりと朝也を見ると「任せろ」と小声に言って俊平の手首を掴み、先を歩き出した。
この男は言葉少なだが、俺がどんなに言葉を尽くすよりアッサリと俊平を安心させてしまうんだから、口の端が緩んで仕方ない。
「艶夜は俺が……」
「見くびるな。行くよ、虎」
俺の恋人は可愛い顔をして、時折、漢になる。惚れるわ……。



青の風がそよいでいる。
夏の名残を思わせる目映い日差しに木々のザワザワ揺れる音や折り重なる葉の緑が鮮やかだ。プロムナードの脇には赤や黄色の花が咲いていて、砂を踏んで行く先に蒼い蒼い海が見えた。
「うっわぁ……」
と、声にならない声を上げた艶夜の横顔に満足して、ここぞとばかり手を繋ぐと、いつもは恥ずかしがるか怒り出すヤツが大人しく繋がれているのも愛しくってたまんねぇ……。
「虎、あの小屋は何だろう?」
「水上コテージな。急だったから一棟しか取れなかったけど、今夜はあそこに泊まる」
「ちょっ!水上なんて聞いてない!」
急に振り向いたのは前を歩いていた俊平で、
「日本は地震大国だろ?津波が来て流されたら……」
「海上でなくても天災には抗えねぇだろ……って、お前、心配の仕方が飛躍しすぎ」
「夜中のトイレで寝ぼけて海に落ちる……とか……」
「その時点で目が覚めるだろうな」
しれっと言うと朝也が俊平の耳許へ二言三言ささやいて、俊平をクスクス笑わせる。
「バッカじゃないの?そういうことなら仕方ないね」
何を吹き込まれたんだか、呆れた仕草もどこか日本人離れしている俊平は、やれやれといった調子で両手を広げ、クルリと早足に坂を下って行った。朝也は余裕綽々、俺たちと歩調を合わせる。
「どんな魔法だよ?」
「夜中に目を覚ますなど有り得ないと言っただけです。お二人には30分ばかり星空散歩でも楽しんで戴くことになりますが」
こいつ……。
「30分で足りるのか?」
「余りますかね?」
「テクニシャンだねぇ、ご享受願おうかな?」
「まさか、百戦錬磨の虎さんに俺が何を教えるんです?」
「それ、艶夜の横で言っちゃう?」
あははは、なんてスケベ調子に笑っていると、途中から俯き出した艶夜が無言で一度、ジロリと俺たちを睨み、俊平を追いかけて行った。

「無言は地味にこたえますね」
「だろ?それ解ってて無言なんだ。一番、俺が反省するって解ってんだよ」
「反省してます?」
「いや、慣れたからしねーけどな」
「でしょうね」
朝也は飄々と押し出しのいい体躯で風を切って歩く。
グレーのシックなサーフパンツに黒のラッシュガードはクールなコイツらしいチョイスで、2歳下と言うことを忘れそうに落ち着き払った佇まいが、一緒にいて小気味好い。俊平でなくてもこの男といるのは安心するが、こいつがどんなツラで俊平を抱くのか今夜を覗いてみたい悪趣味な欲に薄ら笑う。
「公開Sexでも構わないけど?」
「ほんと、冗談の境界線の見えない人ですね」
「冗談じゃねーんだけど」
「尚更、始末が悪い」
「あいつさ……」
「はい?」
「俊平。海、苦手か?」
「……正確には水中が、ですかね」
「了解」
もしかしたら、泳げないのかもしれない。運動神経のいいヤツだから、そんなこと考えもしなかったけれど、プライドの高いヤツだ。本人に聞くのはやめておこう。
少し先で艶夜が手を振っていた。昨日、俊平と二人でサーフパンツを新調したと聞いていたが、まるで性格違いの男二人がキャッハウフフもあるまいに、どんなツラして買い物していたのかと軽く想像してみる。
「あの二人、案外、気が合うのな?」
「虎さん、ハンバーガーが生クリーム尽くしだったらどうします?」
「は?何それ、旨そう!」
「そう言うと思った。二人で食べて来たらしいです。俺は聞くだけで胸やけしますが」
「あいつら、女子か!」
普段、俺が誘ってもスイーツなんて食べに行かない艶夜が俊平と行ったと聞いて、軽いジェラシーってやつ感じるんだけど、すっかり機嫌の戻った俊平が艶夜にちょっかい出して体当たりしているのを見たら、どうでもいい気がした。ただ、後で艶夜に店の場所を聞くのと、次は俺を連れて行くのを言い忘れないでおこうと思う。
色白で控えめな艶夜の性格に青から白へのグラデーションが涼やかなサーフパンツは良く似合っていて、供のラッシュガードが普段、選びそうにない派手さなのも凄く良い。自分を良く知っている俊平は流石、洒落っけを損わず、遊び心のある可愛いデザインにシンプルに白のパーカーを合わせていて、それぞれに良い買い物をしたみたいだ。因みに俺は南国系植物の大柄プリントのサーフパンツにウェットスーツタイプの黒のラッシュガードでキメたっつーの。


「「「「おおっーーー」」」」



やばくねーか?
カヌーは二人用程度のカナディアンカヌーを想像していたが、見れば大きなセイルの付いたシングルアウトリガーセーリングカヌーで、俄然、テンションが上がった。これなら二組に分かれなくても皆で乗れるし、この遠浅の海なら少しぐらい沖へ出ても安定しそうだ。朝也を信用しないわけじゃないが、海に関しては船舶免許を持っている俺の方が緊張気味の俊平に気を配ってやれるだろう。
アウトリガーってのは『舷外げんがい浮材』のこと。
転覆防止に船体の横から腕木を張り出させた浮きのことを言う。
オセアニアなどで外洋航海が盛んになるにつれ、高波のうねりにも破損しない構造が求められ、傾いても負荷が掛かり難く風上航走に長けたシングルが造られたという程度の知識なら俺にもある。ヨットだと風上に向かっての旋回をタッキング、風下に向かって向きを変えるのをジャイビングというんだけど……、まぁ、基本的な操縦法は似たようなものだろうし、何とかなるだろう。
水際から舟を押し出す。先に俊平が乗り込むと観察力の優れた艶夜は俊平の怯えを察しているのか、揺れてもすぐに支えてやれる後ろを陣取った。朝也は舟底が完全に岸を離れてから船首へ勢いよく飛び上がったらしく、舟を僅かに傾かせたみたいだ。
「揺らすなよ!」
俊平の慌てた声が併泳していた俺にも聞こえて笑いを噛み殺し、腕木を支えに舟の横から乗り込んだ。
「大丈夫。この程度の揺れで引っくり返らねーから」
「そうだよ。虎は船舶免許を持っているし……って、虎、冷たい!」
「おー、すまん」
艶夜を跨ぐように舟の後方へ縁を蹴ったもんだから、頭から潮水に濡れた艶夜が不満げに俺を振り返る。そのくせ、舵棒チラーを握った俺をあんまり嬉しそうに見るから調子が狂って、照れ臭さに珍しく俺の方が根負けして先に視線を反らせた。朝也が帆柱に巻き付いていたロープを外して寄越し、セイルを調節して、いよいよ風に乗る。
「気持ちいいね」
今日の艶夜は上機嫌で良く笑う。
最初は横を見る余裕もなかった俊平がその声に小さく頷いて、もしかしたら、艶夜はヤツの緊張を解くために喋り捲っているのかと思うくらい、一人で良く喋った。鳥が飛んでいるだの、魚が跳ねただの、潮の香りが濃くなっただの……そのうち、
「虎は釣りも上手くて釣った魚をその場で捌くんだ」とか、
「虎はレスキューダイバーの資格も持っているんだよ」とか、
「ダイブコンピューターって種類も値段もピンキリで、虎のはねー……」
いつの間にダイコンの知識まで得たのか、虎が、虎は、虎の……って俺のことばかり話すのがくすぐったくて、
「もう、いい」
足蹴にして「乱暴だなぁ」と笑われた。艶夜のこんなに眩しい笑顔が見られるなら来て良かったと、海面に照り返る陽光に目を細めながら気分も高揚していく。
朝也は呑気なものだ。初めてにしてはまるで物怖じすることなく、俺の指示通りセイルの紐を取ったり立ち上がって風に吹かれてみたり……、そのたびにハラハラと何事か喚いていた俊平も不思議と朝也が余裕を見せるほど落ち着いていくらしい。
「青が変わっていく……」
と、舟の淵をシッカリ掴んで海面を覗き込んだ俊平が
「虎センパイ、海の中ってどんな感じ?」
そう、大声で聞いてきた。
「入ったことねーの?」
「ううん、……忘れた」
それは、忘れたことにしたい場所って意味なんだろうな……。だとしたら、常々思う『還る場所』という返答は深読み名人の俊平には不適切だろう。
「そうだな……、無を得て独ではない。俺にはそんな場所だ」
「……綺麗なんだろうね」
綺麗なばかりではない、という言葉を呑み込んで「そうだな」と笑う。
その時、俊平の眼に何が映っていたかは判らない。ただ何となく水面を見てはいるが見えていない気がした。別の方向から真っ直ぐな視線を感じて顔を上げると、艶夜が物言いたげにジッと俺を見ている。条件反射で笑みを返したら、一層、真剣な面持ちで口許を引き結んだ。
そうだよ、艶夜……、海は恐ろしく厳しくて、何より俺が『せい』を感じられる場所だ。
遠浅の海は、やがて滔々とうとうと瑠璃を深め、膨らんでいく。
燦燦と注ぐ太陽に燻されるほどに匂い立つ潮風が肌を打つ。どうにも血が騒いで、
「艶夜、舵棒を握ってて。朝也、少し任せていいか?」
と、朝也が頷くのを見届けて海に飛び込んだ。


久しぶりの海だ。
横波に身体をもっていかれ、青に呑まれる心地よさ。日本の海も捨てたもんじゃねーなと素潜りして振り返り、硝子片を一掴み放り投げたような陽光の揺らぎを見上げ目を細めた。
海では決して気を抜かない。けれど、この青は何にも代えがたく魅力的で、足先から手指の先まで全身で生かされていることを実感する。

朝也は一定の所で待つつもりらしい。
目視できる距離にゆらりゆらりと揺蕩う舟底を見て、少しの間、水と戯れ舟に戻った。
「よく息が持ちますね」
と笑いながら、物凄い勢いで引き上げてくれた朝也に、
「空まで飛ばされそうな剛力」
冗談でなく、そのまま飛ばされんじゃねぇかって力強さに笑った。
「まさしく、水を得た魚だね。息も上がらないなんて」
艶夜が感心しきりという顔をするから、ちょっと調子に乗ってみる。
「惚れ直した?」
「直すもないだろう?」
それって、惚れているものを惚れ直すもないってことかと自惚れてみたり……。
置き物みたいに身動ぎせずにいた俊平も海に腕を突き出して波飛沫を楽しむ余裕が出てきたらしい。
「ねぇ、孤独じゃなかった?」
何を言い出すかと思えば、そんなことを聞いてくる。
さっきの『独ではない』の意味をコイツなりに考えていたのかもしれない。
「孤独じゃねーよ。こう……解き放たれる感ってのがあって、頭ん中、浄化される清しさがあって、ひとりじゃねーなって何か包まれる感じがするわけよ。わかる?」
「あれか、初詣みたいなもんだね」
「は?」
「何となくスッキリした気分にならない?」
「まぁ……、それでいっか」
「いいんだ?」
俊平は「あははは」と、ようやく声をあげて笑って、海水に手を伸ばし遊びだした。
「ごめん、本当は何となく理解してる。きっと、俺にとってのカンバスがセンパイの海なんだね?そこでは何にも囚われないで自由なんだ」
「お前、少し調子出て来たか?」
「うん。って、あれ?それ、どういう意味?」
「いや?」
弱味を見せたがらないクソガキの顔色が良くなっているのを見て俺は舵取りに戻り、潮騒に耳を傾けた。遠く岸の方角は白い砂浜からずうっと視線を巡らせラグーンの描く弧が美しく、反対側は外海へ向けて青のグラデーションが濃くなるさまに気持ちが和らぐ。
「沖にひさごばなといへるもののたちけるを見て……」
不意に聞こえた艶夜の唄うように澄んだ声が何を言ったのかが解らない。何だ?と訊くと、
瓠花ひさごばな瓢箪ひょうたんの花のことでね、波の白く立つさまを言うんだよ」
と、波頭の白々と光るのを指差して、その博識ぶりで皆を唸らせた。
少し風が出て来たか、ゴウと帆を叩いた音に風向きが変わったのを察して、慣れない俊平たちが船酔いしないうちに岸へ戻ろうと朝也見ると、ヤツも同じことを思ったらしい。
セイルを広げて風を捕らえ、舟はスピードアップして波を揺らし大きく旋回した。

 

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