茜の空は琥珀の息をついて、最後の朱に染まった。
沈みゆく夕日は、束の間の休息につく。
明日を生きたくなるような橙色に背中を押されて
風の音が「頑張れよ」と聞こえた気がする。
元気が出たら、無性に卵掛けごはんが食べたくなった。
里心がついた、ってやつ?

俺は今の自分が案外、気に入ってる。
子供の頃ほど純粋ではなくなったし、完璧が最上とも思わなくなった。
きっと、ずるくもなって、嘘つきにもなっている。
けれど、人って、そういうものだろう?
自分に正直になったら、人に、やさしくなった。
不完全の面白味を知ったら、短所を個性に思えるようになった。
強がる自分を弱いと認められる強さを持ったら、人に甘えるすべを知った。
人は支えあっていくもんだってこと、よぅく解った。

黄昏時を紫の帳が染め変える。
原点回帰。いつか、お前と見たそらに一番星を探す。
これまでの記憶のポケットが一つ二つと開くたび、胸に迫るものがある。
泣きたくて泣くんじゃないけど、泣けてくるんだなぁ……。

Bookmark

「お待たせ!ごめん、ちょっと、ヌいてきた」
「ぁ?お前さん、今、何を言った?」

軽やかな足取りでカウンターに戻ると、テッドはずんぐりした猫背の身体を捩るように俺に振り向いて唖然とした顔をした。

「いや、シェーン、今のは聞かなかったことにしよう」
「んー?だって、我慢できなかったんだもん」
「若いな」
「若いねぇ」

その首にごく自然に腕を絡めて、父親に懐く子供のように甘ったれた声で囁くと、テッドは「やれやれ」と呆れ顔で俺の腕を解く。俺は悪戯めいた笑みで彼の隣に座り直し、バーテンダーにPale Aleを追加で3本、注文した。酒に強い方では無いけれど、この時の俺は思い立ったが吉日とばかりに帰国で頭が一杯だったし、それをテッドに切り出すなら一揉めして今夜は長くなるだろうと思われたからだ。とても素面では彼に理屈で勝てそうにない。けれど、まとめて何本か注文して、それきりバーテンダーを呼ばないのは俺には良くあることだったからテッドは怪しみもしなかった。

「シェーン?その、さっきはゲイだなんて言ってすまなかったね。気を悪くしたかい?」
「気にしてないよ。夜通し、そうやって謝るのなら本当に気を悪くするかもね」
「そうか。良かった」

テッドはホッとしたようだ。

「ところで先程、お前さんが入って行った方をニックが怖い顔で見ていたが、何かあったのかい?」

ギクッとした。全く、このオッサンは何にでも目敏くて困る。

「そう?気付かなかったな。別に何も無いけど?」
「しかし、いつもはシェーンが店に来れば飛んでくるのに今夜は顔も見せないじゃないか」
「売れっ子に何を言ってるの?忙しいだけだよ」

正面を向いたまま関心なさげに「やしないよ」と日本語で呟いた俺と注文のビールを差し出しながら「忙しいだけでしょうか?」と尋ねてきた茶髪に 顎鬚あごひげ のバーテンダーの声が重なった。口許は笑みを湛えているが眼の奥は笑っていない。

「どういう意味だね?」

と、俺より先に何にでも首を突っ込む好奇心旺盛なテッドが直ぐさまバーテンダーを問いただす。Russell Cox ラッセル・コックス、ニックに紹介されてから俺は『Russ』と愛称で呼んでいる。
普段は口数の少ない物腰の柔らかな男で、俺は彼のいるカウンターを選ぶことが多かった。楽しい酒は要らないからだ。俺にとって酒は内省の糧であり、空想への入口であり、朝也への想いをはぐらかすものであり、安眠の術に過ぎないから元より一人で家飲みが多かった。この店へもテッドに誘われでもしなければ来ることもなかったし、それだけに彼の寡黙さが好もしかった。少なくとも、この日のように挑戦的な眼を不躾に向けてきたり、話に割り込んでくることなどなかったのに……。

「ご機嫌斜めみたい。原因は俺にあるのかな?」

カウンターに片肘をついたまま上目遣いにラスを見上げると、彼はシニカルな笑みを浮かべて俺へ一瞥をくれた。思い当たる節に苦笑が漏れる。きっとラスは先週、俺がニックからの何度目かのアイシテルを断ったことを知っているんだ。そして、彼はニックのことを……。

「色々とワケ知りみたいね。ニックはそんなことまで話しちゃうわけ?お喋りだなぁ」
「あ、否!そんなことは……」
「隠すことないよ。アイツ『このオレがフラれた』って凄い剣幕だったし、胸の内で消化できるタイプじゃなさそうだもんね。洗い浚い聞かされた?ウンザリしたでしょ」

図星だったみたいだ。一瞬、素の表情を覗かせた彼がそのまま仕事の顔を取り戻し損なって、苦虫を噛み潰したような顔で堅く口を閉ざしている。

「いつも、そうやって泣きつかれてんの?二人は何処まで仲良しさんなわけ?何もかも筒抜けでさ。そんなこと、アイツの口からは聞かされたくないよね?」

含みを持たせた言い方をすると、ラスは虚を衝かれたように眼を剥いて満面に朱を注いだ。

「そういうことなんじゃないの?」

ニックを愛しているんだよね……?
苦々しく微笑ったラスは溜息をついて、やれやれと首を横に揺すっている。否定ではなく、図星を突かれたことへの自嘲めいた顔つきだった。

「一つ、伺っても宜しいでしょうか?」
その声に俺は黙ったまま、物臭に頷いた。
「ニックほどの男が貴方の初めてになりたいと願っているのに、頑なにNOを突きつけるのですね?」
「そうだよ。だって、出来ない話だもん」
「『出来ない話』?ですか」
「そ。察してくれないかなぁ?」

既に『初めて』のいる俺の初めてには成りようがない。
それを曖昧な言葉で濁したのは下手に首を突っ込まれて迂闊にも朝也の名を巻き込みたくなかったからだ。日本を発ってずっと、この胸に大切に仕舞い込んできた彼の名を俺は最後まで誰にも明かすつもりはなかった。それまで黙っていたテッドがガタッとスツールを揺らして、

「おかしなことに巻き込まれているのかい?」

と、不快感を露わに訊いてきたが、俺は人差し指で彼の唇を塞ぎ、かぶりを振った。意を察したテッドは渋々引き下がってくれたが、ラスは納得がいかないと言うより何かを思案する顔つきでいる。

「Shun?貴方はニックを拒んでおきながら、何事も無かったような顔で来店される。彼に笑顔で話しかける。本当に受け入れる気が無いのですか?私には気を引くための浅知恵に見えます」
「ジョークにしてもセンスがないね。その気になれば直ぐ手に入る男に俺が媚びるわけないだろう?」
「仰いますね」
「無愛想なツラで無視すれば表沙汰になってカッコつかないのはアイツの方だ。店のNo.1にケチがついて赤札貼ってバーゲンセールなんて目も当てられないと思わない?」
「お気遣い戴いたというわけですか」

さぁ?と小首を傾げて軽薄な笑みではぐらかした。肯定しても、また何かしら噛み付いてくるに決まっている。馬鹿正直に応える必要のない相手には少々扱い辛い印象を持たれるくらいが丁度いい。そもそもニックへの配慮と言うより、波風立てて彼のフォロワーに逆恨みされたくない思いの方が強かった。男の嫉妬は時にバイオレンスで付き合いきれないからね。ヘラッと笑うと、その態度が癇に障ったのかラスは眉を顰めたが、一呼吸置いて突拍子もない言葉を頭上からサクッと振り下ろして来た。

「では、二番目なら構いませんか?」
「は?」

唐突すぎて、一瞬、言われた意味が解らなかった。何だって?

「次の恋にニックを選んで下さいと言っているのです。初めての男とは別れているのでしょう?」
「どうしてそうなるの?」
「貴方が彼を『初めて』に出来ないのは既に『男』を知っているからでは?でも、今はフリーですよね?まだ続いていると仰るなら、ゲイバーに貴方を一人で寄越せるでしょうか?」

何をどう結論付けたのか、少し前まで俺の『出来ない話』の意味を考えあぐねていた顔が訳知り顔の不遜な笑みに変わって、まるで悪びれる様子が無いのも鼻につく。

「どうしても、俺はゲイにされちゃうみたいね。本日、二度目よ?」

この店で俺がゲイだと真しやかに噂されている事は早くから気づいていた。
隠していた訳ではない。いや?ゲイでもない。そもそも男も女もなく、俺は神月朝也しか愛さない。まぁ、ゲイもストレートも個性の一つぐらいにしか思っていないから何を言われてもいいけれど、夜を売る気はないから、ここでは意識的にストレートを匂わせているだけだ。

「つまり、俺に好きでもないヤツに抱かれろって言うの。アンタに同じことが出来る?」
「はぁ……」

気の抜けた返答は罪悪感はゼロってことか。無神経な要求に腹が立つ以前に気が滅入った。

「どうかしているよ。ニックにも失礼な話だ。自分で堕とせないのをオトモダチに貢がれるとかザマァねぇだろ。いいの?ラスが仕組んだってこと、ベッドでペラペラ喋っちゃうかもよ?」
「それは、私の頼みを聞き届けて戴いたと解釈して宜しいのでしょうか?」
「んふふふー、アンタ面倒臭い。じゃあさ、愛のないSexが、どれだけツマンナイか教えてやればいい?傷つくだろうなぁ、アイツ。で、いくら払ってくれんの?」
「いくらって……」
「当然でしょ?カレシに貢ぐプレゼント代なら弾めよ。ナマモノだし俺って案外、繊細だし?プライドもカラダも傷モンにされんだから、対価に色つけて迷惑料込みで払いな。俺は相当、高いよ」
「シェーン、よしなさい!」

突然、堪り兼ねたように落雷級の大声で俺を驚かせたのはテッドだ。普段は滅多に取り乱すことのない彼が憤怒とも悲哀ともつかない強張った顔で俺の両肩を掴み「自分を大事になさい」と、抱き寄せ嘆息する。少々、面食らった。

「下卑た物言いで自分を貶めるのはやめなさい」
「そんなふうに思ったの?俺は捨て鉢になったわけじゃない。手を放して」

視界に整然と横一列に並べられた空瓶が俺を苦笑させる。テッドの仕業だ。自分をいつまで待たせるつもりだという嫌味か、俺とラスの不毛な遣り取りに辟易しての暇潰しか。

「テッド、良くない酒になってる。ちょっと、ピッチが速いんじゃないの?」
「さっきから、ちっとも旨くないのでね」
「悪かったよ。ごめん、揉め事を起こす気は無かったんだ。俺のこと朝まで好きにしていいから、もう少し味わって飲んでくれない?」
「お前さんは、そういうことを言うから誤解を受けるんだ」
「だって、この空瓶が胸に刺さるんだもん。一晩中でも詰って良いから、俺のために身体を壊すなよ?」

いつだったか、朝也にこの声がいけないと言われた。誘ってんのか?って。
そんなこと普段は微塵も口にしないヤツが「綿飴みたいだ」なんて真顔で言うもんだから、俺は顔が火照って何も言えなくなったのを思い出す。耳元でスウッーと溶けてくすぐったいという意味だったらしいけど、ピロートークなら此方も雰囲気に呑まれてやるものを朝也のは何の気なしに不意を突く言葉で、いやらしくないのがいやらしい。

「そーそ。タチが悪いんだ、アレは……」
「ん?何だね」
「何でもない。テッドが不機嫌だと俺は逆に冷静になれそうだ。それとも計算尽く?年嵩の誘導に俺が嵌められているのかな?ねぇ、そんな顔しないでよ。俺、そんなに空気凍り付かせてた?だって、ゲイだの貢ぎ物だの嫌気も差すだろ?だったら、どんな顔をすればいい?」
「……」
「なんてね。……ごめんね」

何となく、ごめんねという言葉が口をついて出た。卑屈さの表れでも巻き込んだ詫びでもなく其の心根は静かなもので、俺的には『ありがとう』に置き換えられる類の『ごめんね』……。
父親風を吹かすという言い方は適切でないと思うけど、実の親にも心配されない俺をテッドは過保護なまでに案じてくれる。出会った当初は口喧しいと思っていた心配も今では温かい。
テッドは俺が身売りしかねないと危惧したのだろう。そして、心配してくれるぶん俺は彼を傷つけた。ホント、気づかなくていい事には察しが良いくせに、気付いて欲しい意図には鈍感なんだから……。

Bookmark

「今日は何?艶夜がメシに誘ってくれるとか珍しいじゃん?」
「あー……うん、そうかもね」
「ドレスコード有りなんて俺たちには場違いなんじゃねーの?肩に力入んだけど、お前、平気?」
「ううん、少し緊張してる……」
「だよな」
「虎、何、食べる?」
「うーん……?どれが旨い?って訊いても、お前も知らねーんだろ?」
「この店、会社の同僚が教えてくれたんだけど、彼のオススメだと……」
「任せる。とにかく、腹が減ってんだ」
「知ってる。さっきから、への字口だし。予約時間、もう少し早めにとれば良かった」

…………………………………………

「不味っ……!」
「虎、声が大きい」

「何か酸っぱい。シャリシャリして変わった食感だし、何が入ってんだ?」
「多国籍料理の店で、腕利きのシェフが創作料理を出すって話だよ?その同僚ね、この店でプロポーズしたんだってさ」
「へぇ。まぁ、実験的というか、冒険心溢れる味だけど、この食感はなぁ……」
「虎は料理にはウルサイからね」
「ウルサイ言うな」
「きっと、俺たちの味覚が庶民的すぎるんだよ」
「……。で?その同僚、うまくいったの?」
「それがね、少し考えさせてほしいって言われたみたい……」
「あー、判る気するワ。やっぱさ、プロポーズにレストランを使うなら家庭料理以上、高級料理以下。舌が記憶を辿って懐しいと思える中での上級、もしくは味覚がついていけるレベルの発見を楽しめるもの。その男は頑張りすぎたな」
「『考えさせてほしい』の原因が、この料理だって言うのか?」
「女の口に合わなかったんだよ、ここの料理が。不味いと思ったと仮定しようか、きっと、女は男を味音痴だと思った。どれくらいの付き合いか知らないけど、手料理を振舞う価値はあるのか何でも旨いんじゃなかろーかと疑う。逆に真面目で気の弱い女なら、自分にこの味の価値が判らないんだ、だから、この男を満足させられる料理など自分には作れないのだと悲観する。食の相性ってのは案外、重要だからな」
「成程ね。だから、虎が案内してくれる店は居酒屋かラーメンなのか」
「何、ご不満?」
「あははは、ううん。……それでね、虎、」
「ん?何だよ改まって、プロポーズでもしてくれんの?」
「馬鹿。話の腰を折るなよ。その……、ヘアカットのコンテスト、3位おめでとう」
「あ゛?それで此処?……そっか……、コンテストって言っても自社のだし……」
「それでもチェーン店だ。全店舗から店長クラスまで参加するって居残り自主練、頑張ってたじゃないか。大したものだよ。だから、ささやかなお祝いのつもりだったんだけど……」
「サンキュ」
「……ごめん、口に合わなかったね」
「いや、特別な味になった。お前がそんなふうに思ってくれてるとか全然、考えもしなかったし。その……、嬉しいもんだな」
「そりゃ、3位だからね!『自社の』なんて謙遜しないで、もっと喜んでいいと思うよ?」
「ちげーって。好きなヤツが祝ってくれる顔、見るのがさ、受賞より嬉しいって言ってんの」
「えっ?好……ば、バッカじゃないの?」

Bookmark

桜が香るから、家へ帰るのをやめた。
夢か現か花弁は激しく渦巻いて、身体を攫うように呑み込んでいく。
甘やかな香りは俺の身体から匂っていて、

「まだ、酔っているのか?」

思わず、苦笑してしまう。
本当は、ただ、帰りたくなかったのかもしれない。
雪曇りの空の下、ジニーに何からどう切り出したものか
さっきから俺は、そればかりを考えている。 いいや?
考えなくちゃと思いながら、俺の浮ついた頭は一人の男の名前ばかり反芻していた。

神月朝也かんづきともや、神月朝也……」と。

昨夜はチェルシーにいた。
ニューヨークはマンハッタン南西部に位置するチェルシーは元倉庫街だった辺りにコンテンポラリーアートのギャラリーが軒を連ね、最新アートの一大発信エリアになっている。
国内外のアーティストも多数集まり、絵画を始めパブリックアートやCGアート、ポートレートや版画など、あらゆる芸術に溢れていてエネルギッシュだ。さながら、俺にはテーマパークみたいなもので、暇さえ有れば自宅のあるイースト・ハーレムから通いつめ、飽きもせず刺激的な界隈を堪能している。その一角に俺をサポートしてくれるギャラリーがあり、昨夜はそこのギャラリストと行きつけのバーにいて、そのまま朝を迎えてしまった。
そう、俺は画家だ。
まだ駆け出しだけど、高校を卒業と同時に日本を離れて7年、ぼちぼち入選や受賞もして、先だって注目の若手アーティストを特集した某アート誌にヴィジョナリーアートの新星として作品が紹介されたことで『Shun』は新進気鋭の日本人画家だと巷に広まった。
現在、25歳だ。
ヴィジョナリーアートとは日本語では『幻視芸術』とでも言うもの。神話や霊的体験、精神世界を軸に幻想的な世界を描き出す芸術と言った方が解りやすいかもしれない。誌面の影響とは恐ろしいもので、サンクスギビングホリデーに開催した『Shun』こと環俊平たまきしゅんぺいの個展は、本人も信じられないほどの反響を呼んで成功を収めた。展示即売会の売り上げも上々で、すっかり気を良くしたギャラリストにロブスターを鱈腹ご馳走になり祝杯を上げに連れて来られたのが、この、いつものバーだったというわけだ。ゲイバーだけどね。
チェルシーのもう一つの顔は、8th Ave.を中心としたゲイタウンであること。中でも度々連れて来られるこの店は、広さ、歴史ともに名店として賑わっている。煌びやかに着飾ったドラァグクイーンが絶妙なトークでショーを盛り上げ、バーカウンターでは顔立ちの整ったバーテンダーが筋肉美を誇らしげにアピールしながらカクテルを出すのが人気のようだ。正直、俺は興味がない。それでもゲイには紳士的な人が多いし、客層には年配も多く、店が老舗の度量で興味本位の観光客やストレートも受け入れているためか、東洋系の少なさを気にしなければ居心地も悪くはない。

「ねぇ、テッド。前から思っていたんだけど、どうして俺と飲む時はここなの?」

親子ほどに歳の違う彼を俺はファーストネームのTheodreを『Ted』と愛称で呼び、慕っている。Theodre Bailey セェオドア・ベイリー、妻子持ちのストレートだが、好奇心旺盛で何でも楽しんでしまうこの風変わりなオッサンは、俺がギャラリーに顔を出すと打ち合わせと称して食事の後には大抵この店に連れてくる。考え過ぎかも知れないけれど、俺は段々それが彼の単なる興味ゆえでない気がしていた。

「どうした、シェーン?夜通し飲むには都合がいいし、楽しいじゃないか。お前さんは嫌いじゃないと思っていたがね?」

彼は俺を『シェーン』と呼ぶ。本名の『シュンペイ』が言いづらいから画家名の『Shun』が通り名になって、けれど何度聞いても『シェーン』としか聞こえない。そのうち、それが俺の呼び名になった。

「やっぱり、そんなふうに思っていたんだ。それって俺がゲイだと言いたいんだよね?」
「違ったかい?」

違うね、とは直ぐに否定できないこのバカ正直さ。
一瞬、言葉に詰まった俺は或る男の面影に胸を突かれて、きっと苦笑いでもしただろう。

「いつから、そんなふうに思っていたの?俺はここの連中とだって寝ていないし、むしろ、テッドがいつもこの店を選ぶからケツ貸せってサインなのかと半年は疑ったよ。俺、抱かれんの?って。断ったら契約も破棄?絵を売るためにカラダを売るのはマズくね?って葛藤しちゃったよ」

誤魔化したいが為の饒舌。くだらないことをペラペラ捲し立てている内に苦笑いし出したのはテッドの方で、笑い飛ばす俺の隣で彼は飲んでいた酒を吹き出してゴホゴホ噎せていた。

「お前さんは何てことを言うのかね?」
「だって、あははは……」

笑っていると今度は目頭が熱くなって泣きたくなってきた。
俺の脳髄をダイレクトに溶かしてしまいそうな低く甘やかな声が桜の香を纏い、記憶の中で陶然と俺を支配し始めたからだ。

『……俊平、来い……』

カンヅキトモヤ。時空を超えて朝也の声が降り注ぐ時、決まって彼は俺に『来い』と呼びかけてくる。唯一、この身体を好きにしていい男だ。
重ねた肌の温もりもヤケにリアルで、辿る指先の行方を期待して落ち着かなくなる。

「生々しいんだよ……」

自分の声にハッと我に返った途端、顔から火を吹きそうに恥ずかしい思いをして咄嗟に目の前のビールを一気に飲み干し咳込んだ。

「シェーン!何をやっている⁈」

慌てたテッドに瓶を取り上げられて、胸を抉るような甘い名残に胸が苦しくなった。
熱い……身体がざわついて、心臓が壊れそうだ。

「だ、大丈夫。テッドがゲイとか言うから、ちょっと変なことを思い出した……」
「嗚呼いや、ゲイが悪いと言うんじゃないんだ。前に、お前さんに惚れている知人の娘を紹介しようとしたら、女は要らないと言っただろう?その若さと秀麗な顔立ちで女性に無関心とは何か事情でも有……」
「もう、いい。顔洗ってくる」

心配性のテッドが付き添おうと席を立つのを断って、俺は足早に奥のレストルームへ立った。
全然、大丈夫なんかじゃなかった。身体が疼く。頭の中で朝也が『来い』と俺を呼ぶ。その腕が俺を抱く。絡めた手と手が解けると、その冷たい指先が俺の熱い昂まりに触れ……。

「ちょっ、待……!」

固く眼を瞑ると全身がゾワゾワと粟立って、暴発寸前で俺は大きく息を呑み込み食い止めた。妄想で勃つとか俺は何処まで青臭ぇんだ……。レストルームの出入口に屯する男たちが下卑た笑みを浮かべ、値踏みする好奇の眼で俺を遮ろうとする。こういう眼には慣れていた。少しでも怯えた眼を見せれば便器にされるのは俺の方だ。

「そこ、退いてくれない?ちょっと、飲みすぎちゃって切羽詰まってんだけど」
「飲みすぎ、ねぇ?俺がヨくしてやるよ、お嬢ちゃん」
「何だバレてるのか。なら、尚更ノーサンキューだ。オマエじゃ、勃ったモノも引っ込んじまうよ」

目敏いヤツだ。可笑しくなって笑い飛ばすと、体格のいいリーダー格のブラックはギョッとしたように眼を剥いて俺を見下ろした。きっと、想像した人格と俺の反応が男の中で噛み合わなかったのだろう、珍獣でも見る眼つきだ。これも慣れている。この大男と数人には見憶えがあった。

「騒ぎを起こすと店に迷惑が掛かる。ニックも此方を見ている。常連なら俺の言いたいこと判るよね?」

この店の人気No.1のバーテンダーの名を出すと、男たちは舌打ちして一様に黙り込んだ。
自分で言うのも何だが俺はニックに愛されている。カラダの関係はない。
彼は桁外れのハンサムでユーモアがあり気も利く。上背のある逞しい体躯はゲイにモテるし、荒くれ者にも一目置かれる存在感を遺憾なく発揮しながら、当人は胸筋の薄い俺などまるで子供扱いのこの店で何故か通い始めた当初から俺にご執心のようだ。その所為で彼目当ての客たちの俺を見る眼は冷たく、何度か裏通りへ連れ込まれたり痛い目も見ている。とばっちりだけど、脅し文句に彼の名を出すだけで本人に話したことはない。男たちが一人の男を取り合って、その一人に愛される第三者の男を妬むなんて御笑い種だが、俺には攻撃的になる気持ちが……少し判るからだ。
「通してやれ」
と言うリーダー格の男の声で俺は男たちの間を摺り抜けるように逃れ、レストルームに閉じ籠った。
やべぇ、捕まって絞られていたら、呆気なくイッちまうところだった。切羽詰っていたのはその、用を足す方じゃなくて育っちまったコッチの方で、まさか、こんな所で自分でヌく羽目になるとは思わなかった。

「……っ!くそっ!テッドのヤツ……ぅ、んっ…と、朝、……」

高校生だったあの頃、俺は寝ても覚めても朝也を追いかけてばかりいた。
追えば逃げる月のように、手を伸ばしても届かない月のようにその存在は焦がれるばかりのもので、やっと掴まえた月も水面に映る月のように危ういものに思えていた。
どちらからともなく当たり前のように触れた唇の熱さも、思い出すたび俺の頭をフワフワさせる。
卒業式、まだ蕾も堅い校庭の桜の樹の下で、ずっと傍にいると誓った。誓う心のうちでサヨナラを繰り返した。画家を志していた俺は『絵を学ぶために3年くれ』と切り出し、
『翌月にはイングランドの親許へ行く』
そう、デタラメを言って、その足でひっそりと渡米した。
今思えば、浅はかな嘘だったかも知れない。けれど、親許だと言えば朝也も安心すると思ったし、俺は自分が弱いのを知っていたから誰にも引き止めて欲しくなくて、もっとも引き止められることを想定する自体、甘えちゃいるけど、誰にも居場所を報せず自分に逃げ場を作らないようにしたつもりだった。7年間は予定外に離れすぎたけれど、今でも気持ちは変わらず、ずっと朝也の傍にいる……。
朝也と肩を並べられる自分に成りたかった。
俺がアイツを必要とするように朝也にも俺を必要だと感じて欲しかった。
守られる自分でなく、俺も朝也を守れる存在に成りたかった。
その力が欲しかった……。

「朝也。俺たち、まだ繋がっているかな……?」

嗚咽の声を上げそうになって奥歯を噛み締めた。だって可笑しいじゃないか。今更、何を泣くんだ。
朝也から離れて行ったのは俺の方。無性に逢いたくて今すぐにも帰りたくて、こんな思いは今までにも何度も繰り返しては踏み留まってきたはずなのに気持ちが逸る。

「朝也。俺、帰ってもいいか?」

握りしめる記憶の糸が未だ朝也と繋がっているのなら、手繰り寄せて、また会えるだろうか?
濡れた手を見て苦笑い、ポリ…と、頭を掻いた。

「やっぱ、そろそろ……潮時」

そういえば、あの日、あの桜の樹の下で朝也は、どんな表情かおをしていただろうか……?

Bookmark

Hooray!
この日を心待ちにしておりました、文字書きの宙水おきなです。
子供の頃から『書くこと』が好きでした。
紙とペンさえ有れば、世界が生まれました。
1人の世界は、やがて2人の世界へと大きくなって、モノクロの世界にいろが付きました。
もっと世界を広げたくて、2人は家を建て始めました。
『見せる』世界を意識して『魅せる』世界を希みました。
そして、このたび、皆さまを2人の屋根裏部屋へ御招待できる運びとなり、
喜びに打ち震えております。

この、ごあいさつを書くにあたり、たかみんに「どう書いたらいい?」と訊きましたら、
「堅くならないように自由に書けばいいよ」と言われました。
読み返してみれば何とも堅い文章になりましたが『自由に』が『らしい』ということなら、
これほど、私らしい御挨拶もないように思います(^^;)

今、とてもドキドキしています。
どうか、皆さまにとっても、居心地のいい屋根裏部屋で有りますように……。


はじめまして!
元は絵描き、今はサイトのメンテナンスやシム画像によるイメージ画、シムレビューなど、主に作品の
ビジュアル面を担当している、たかみんと申します。どうぞよろしくお願いします~(*’-‘)
ずっとずっとサイトを作りたいなーと長い間考えてきたんですけど、なかなかウェブの知識も全くなくて、敷居が高いばかりでした。いや~、いまもサッパリなんですけどね(笑)
今はSNSとか投稿サイトとかが主流になってるけど、やっぱりなんかこう…自分の家!みたいなのが
安心するというか、自由にできる感じが楽しいし、いいよね~と(*´д`*)
そんなこんなで、念願の創作BLサイト「Attic.」がいよいよ始動いたします!
別館のシムレビューサイト「Attic.+」(あてぃっくぷらす)共々、
皆様、どうぞよろしくしていただけると幸いです(*´д`*)

Bookmark