カップ焼きそばの恋
神月朝也という男は、私を侮蔑している。
「メシは、ちゃんと食え。カップ麺なんかで済ませるんじゃねーよ」
と、私を戸棚に押し遣ってフライパンがコンロに乗せられる重い音がした。どうやら、私より自分の作るメシの方が旨いとでも言うのだろう。冗談じゃない。私は世界で愛され続けて何十年と時を刻んでいる。歴史の重みを解さぬ若造に無価値なもの扱いをされる覚えはない。
「いいんだよ、俺はカップ焼きそばが食いたいの」
と、私を連れ戻したのは環俊平という男、中々、話の分かる青年だ。その長く潤いのある指先が吸い付くように私を捕らえ、私の鼓動は揺れ、マラカスのようにジャラリと音を立てた。
「日本のカップ麺は旨い。家では食ったことが無かった」
「それは、お前の家が、ちゃんとした食育をしていた証だ」
何と!環は継承される日本の食文化を逸脱した家に育った不憫の者であったか。
然れどこの神月という男、ならば何故、私をスーパーから連れ帰ったのか尋ねてみたいものだ。貴様の秘密なら知っている。廊下の戸棚に私の同胞たちが囲われているのを見たからな。
身体は動かせない私だが、せめて気を引いてやろうと部屋の照明をスポットライトにツヤツヤのフィルムを輝かせて見せた。どうだ『大盛130g』が空きっ腹に響くだろう、ソース焼きそばの写真に唾を飲み込むことだろう。湯気の上がる高揚感を感じたくはないか?香ばしいソースの香りを想像したか?辛子マヨネーズの喉奥でチリリと騒ぐ辛味と酸味のハーモニーを奏でてみたくはないか?
「やっぱり、俺はコレで軽く夜食にする」
そう言って、親指と中指と薬指の3点で私を逆さ吊りにした環はジャラリジャラジャラと揺さぶって、コンロに薬缶をかけた。しかし、環は私に言わせれば冗談のような男だった。
「……で?どうやって作ればいい?」
「「は?」」
甚だ不本意では有るが、神月と口を揃えて呆れ返った次第だ。
無知な男は然れど扱いの丁寧な男でもあった。
「背中のファスナーを下げて♡」
とでも、うっとりと呟けばサマになっただろうか。フィルムの継ぎ目に沿うように脱がされた私は恭しくコンロの傍に置かれ、環は脱がしたフィルムを小さく折り畳んでポケットへ仕舞い込んだ。
蓋の開け方は男らしく、指定の位置を僅かに超えて繊細なのか大胆なのか掴めない男だ。少し戸惑った風にかやくとソースとマヨネーズを仕分けして、数えて3秒フリーズした後、かやくの袋を開けた。再三、首を傾げるのは何を思っているのか、兎に角、一々、ポケットから畳んだフィルムを取り出しては広げて顔に近づける。
ハハン、この男は視力が悪いのだ。そして、見ているのは【調理方法】だと知って、私は腹がよじれるほど馬鹿馬鹿しくなった。この御時世にカップ麺を作るのに【調理方法】を確かめながら作る人間がいるなんて……。やがて、長袖を掌を覆うまで引っ張った環は鍋掴みの代わりなのか、沸騰した薬缶を手に私の鼓動へ熱湯を注ぎ、熱く熱く滾らせる。ほら、指定の線を超えた……。
故意なのか、不器用なのか判らない男だ。
箸で軽く混ぜると蓋をして、ソースの袋でも重しにしたのだろう、端が少し浮いているのも構わず何やら口ずさんでいる。……聴き慣れない言葉だ。日本の歌ではないらしい。
しかし、落ち着かない……。
この環という男、まったく私の傍を離れないのだ。
大抵の人間は、この3分を待つ間に茶を淹れたり、箸を出したり、あるいはテレビを見て過ごすと聞くが、この環の影は動く気配もなく傍に居続ける。まるで、デートの待ち合わせに早く来すぎた男が待つ時間を楽しむように其の眼は時計を見ているのかも知れない。或いは熱を出した恋人を愛おしむように、その眼は私に注がれているのかもしれない。……嗚呼、何だか落ち着かないのだ。鼓動がバラバラになってしまいそうに熱くて熱くて堪らないのだ。もうじき環の喉を通り、彼の腹を満たしてやれると思うだけで、私の心臓は蕩けそうに解れて、頭はボウと逆上せてしまうのだ。
《これが、恋というものか……》
スパークした頭でユラユラと熱湯を揺蕩う間にも、かやくは笑いさざめいて揶揄うように私を突つき、或いは擽るのだ。
…………………………?
3分は経ったはずだ。それでも、環の澄んだ歌声は止まない。
早く彼の顔が見たいと願う私の心を嘲笑うかのように、環は蓋を開けてはくれないのだ。
早く、早くと気は急くのに……と、焦れた頃に突然、小窓が開いて、その時は来た。
私を温め、恋心に気付かせてくれた熱湯が勢いよく外へと迸り出る。
そして、蓋を開けた手先の不器用な小悪魔は私の恋心を見透かした目で笑う。
4分……。私は4分も待たされた。ソースとマヨネーズに包まれる時間すら惜しい。
ようやく環の喉奥へ、その闇の向こうへと堕ちていく中で、私は愛する者の真実を知った。
「やっぱ、少し柔らか目が旨いんだよね……」
そうか、私を焦らしたのは其の所為だったのか……。
私は環の好み通りに育てられたのだ。何と至福の喜びだろう。我がカップ麺人生に悔いなしということを、この香りと旨さでキミに伝えよう。
そして、いよいよ、最期の瞬間を迎えた時、私は己の真実まで知ったのである。
そう、この愛しい環俊平の残酷な言葉によって……。
「焼きそばって言うけど、これ蒸しそばじゃね?」
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2017年8月2日、Twitter上にて、
【物書きのみんな、自分の文体でカップ焼きそばの作り方書こうよ】
という、お題がありました。キャストは当サイトのメインCPにゲスト出演して貰いました。
ほんのジョークですwww如何でしょ?