蜂蜜色の紙袋を提げた女性の足取りはモデラート。
すれ違いざまに焼き菓子の甘い香りがして、俺たちは彼女が出てきた石畳を入って行った。
芝に猫足フレームのエレガントなガーデンテーブルセットが置かれていて、花壇や植木鉢にはデイジーの白やピンクが、まだ冷たい二月の風にも可憐に咲いている。

「環、ほんとうに入るの?」
「入るよ?何のために来たんだよ」

俺を苗字で呼ぶこの人は四室艶夜さん。
高校時代の二年先輩で、彼のDarlingの虎先輩と俺の朝也と何かにつけ四人で集まっては、旅行したり飲み会をして楽しんでいる。シャイでいつもどこか自信なげな人だけど、今日みたいに突然、誘っても嫌な顔ひとつしない人の好いところ、俺は好きだ。

「カップケーキを買いに行くって言ったよね?」
「電気屋に付き合えって言わなかった?」
「付き合ってくださいって言ったんだよ」
「言い方はどっちでもいいよ」
「だって、そうでも言わなきゃ、バレンタインのスイーツを買いに行くとか嫌がるでしょ?」
「嫌がると思っていて、誘ったんだ?」

騙したね?という眼をしても、次の瞬間には「しょうがないなぁ」って許してくれるのが艶夜さんだ。だんだん、どうして自分が呼ばれたのか得心がいったという顔つきになって、怒るような拗ねるような困った顔で色白の頬をピンクにするのも可愛い人だ。

「君は、お節介だね」
「どうせ、何も用意してないんでしょ?イベントは楽しまなくちゃ」

いつも、好き好き言って艶夜さんを恥ずかしがらせている虎先輩が『肝心の艶夜からは、一度もチョコレートを貰ったことがない』なんてボヤくから、俺は、そりゃそうでしょ?って言ったんだ。彼は貰う側の人だもん。頭が良くて優しくて、女性が放っておく訳ないだろう?って。
その時の虎先輩の雷雨の中のアヒルみたいな顔ったら面白かったけど、俺はディナーの予約はしてあるの?って訊いたんだ。先輩があげればいいじゃん?俺の育ったイングランドでは食事を共にして、男性から女性に花やチョコレートを贈って愛を伝える日なんだよって言ったら、根が単純な人だから、それなら自分が用意するかって、どこのチョコレートが旨いかを尋いてきた。そうなると、艶夜さんからもサプライズがあったら、ふたりのバレンタインデーはとてもHappyだと思わない?……それが、俺が艶夜さんを誘った理由だ。
こんなに気の利く良くできた俺の名はShun.こと環俊平。NY仕込みの新進画家で、今は活動拠点を日本に移して、絵と朝也で頭がいっぱいの毎日を過ごしている。

 


閑静な住宅街に一際、愛らしいフラミンゴピンクの外壁。
真白の扉を押して足を踏み入れた頭上は天井の一部が吹き抜けになっていて、大きなアンティークのシャンデリアが特別な一日を演出してくれる。

「すごいね」
「当たりかもしれない」

バレンタインデーに西洋菓子を求める女性たちのキャッキャする声に包まれて、パステルカラーの華やかな店内は焦がしバターの香りと、仄かに花の香りがした。四室さんは場違いに思うのだろう。一瞬、足を止めて居心地悪そうな顔を俺に向けたけれど、俺はそのあたり頓着しないから、にっこり微笑んで彼を苦笑させた。
Doigts de féeドワ ドゥ フェ』という店名はフランス語で『妖精の指』を意味するらしい。
クグロフやケーキ、とりわけ、本場イングランドのカップケーキに出会える知る人ぞ知る名店と聞いて来たけれど、これは期待以上かもしれない。マダガスカル産のバニラや厳選された小麦粉を使って焼き上げられたカップケーキはフレーバーも豊富で、どれも見た目にキュートだ。

「ここのクリーム、着色料を使ってないんだって」
「えっ~、こんなにカラフルなのに?」

ふと、隣の女性ふたりのそんな会話が聞こえてきて、

「へぇ?そうなんですね。じゃ、何を使って色をつけるんだろう?」

俺はごく自然に話しかけたつもりだけど、慌てた様子の艶夜さんが後ろから俺の服を掴んで「ごめんね」と引き離す。「いえいえ、大丈夫です~」と返ってきた声は全然、迷惑そうじゃないのに、艶夜さんに「めっ」て顔をされた。

「環はすぐ声掛けるんだから。聞き耳立てたみたいなの良くないよ」
「聞こえただけだし」

そして、やっぱり「しょうがないなぁ」って、この人は笑うんだ。

「虎先輩が艶夜さんは時折、口うるさいって言ってたの本当なんですね」
「アイツ、そんなこと言ったの?虎のガス抜きに付き合わせて悪かったね」

軽い嫌味のつもりが、あはははーと笑われて、結構喰えない性格をしていると可笑しくなった。お互い気になる所が違ってねと虎先輩を想うとき、艶夜さんはとても幸せそうだ。俺と朝也もそうだろう?って訊かれたけど、どうかな?朝也は可愛げがないぐらい完璧で、仕事も家のことも人間も、今のところ非の打ち所がない。

「朝也がガス抜きに艶夜さんを頼る日が来たら、水母クラゲの骨を浮かべて一杯、ご馳走しますよ」
「つまり、そんなことは有り得ないって言うんだね?」
「だって、俺が朝也に小言を言うところ想像できる?」

逆なら有りそうだけど、と思った瞬間、今朝、洗濯物を干すのを頼まれていたことを思い出して、朝也の「お前な……」という低い声が脳裏をのっそりよぎって行った。夕方には戻ると言っていたけれど、帰ってから洗濯し直して乾燥機に放り込めば、たぶん間に合うだろう。

「寄り道でもして来ればいいのに」

いつもは早く帰れと急かすのに、こういうときは身勝手なことを思う。シマッタとは思ったけれど、艶夜さんからトレイを渡されて、今はこの夢のようなパティスリーを楽しむことにした。
パレットを広げたような色とりどりのクリームは、店員さんの話では果物由来と言うから驚きだ。
定番のバターリッチとヘーゼルショコラは絶対に入れるとして、朝也に贈るカップケーキはギフトボックスの大きさを考えたら可愛いのは六つ。進物っぽくなりすぎない個数で欲張っても十二個までがベストだろう。朝也が好きなピスタチオ、彩の良いラズベリーヨーグルトやハニーレモン、キャロットも良いかも知れない。俺の好きなクランベリーに、バニラやブルーベリークリームチーズも美味しそうだ。アップルシナモンにストロベリー、ショコラオレンジも捨てがたい。レッドベルベットはこの店では食紅でなくビーツを使っているらしいけど、朝也は赤が強すぎて眉間に皺をつくるかもしれないな……。抹茶ホワイトチョコや鳴門金時、栗やカボチャの和のフレーバーも一つは入れたいし、アールグレイやココナッツ、メイプルピーカンナッツに……、ああ、バナナウォルナッツも外せない気がする!
フレーバーが多くてこれは迷いそうだと思ったら、隣で艶夜さんも試験当日の受験生みたいな顔をして食い入るようにショーケースを覗き込んでいた。

「折角だから買って帰りたいけど、環、これは困ったね」
「うん。日持ちするなら、全フレーバー揃えたいぐらい」
「さっき聞いてみたら、今日を入れて三日みたいだよ?」

さっきまで、居心地悪そうな顔で周りを気にしていたのに、艶夜さんの眼は真剣だ。
きっと、頭の中では虎先輩とのこれまでのティータイムをフル回転で振り返っていて、彼が好みそうなフレーバーを集めることに全神経を注いでいるのだろう。この真剣な表情のぶん、虎先輩は愛されていて、俺はくすぐったくて茶化したくなってしまう。

「艶夜さん、艶夜さん」
「何?」
「顔、カタイ。スイーツは嬉しい顔して買うもんだよ?」
「……え゛」

俺がニィって笑ったら、つられて頬をヒクヒクさせた艶夜さんがぎこちない笑みを浮かべて「ムリ」と天井を仰いだ。

「さっさと買って、ここを出よう」
「えーっ、カフェスペースもあるのに、お茶しないの?」
「しないよ。神月を誘って、またおいで」

朝也を……、それも良いかもしれない。
風が誘う花や果実の爽やかな香りに、この店は紅茶も良い茶葉を揃えていそうだと思った。次の週末にでも誘ってみよう。

「環、いくつ買う?こういうの買ったことがないから、どう、組むのがいいかな?」
「人気商品を店員任せが、てっとり早くて間違いないと思うけど……」
「君の言葉にしては雑だね」
「だよね。間違えるのもアリだと思うから、俺は選ぶの楽しむよ?九個入りなら正方形の箱があるみたいなんだ。カードを真四角に作ったから、合うと思わない?」
「カード?……って入れる意味ある?」
「え?カード、大事でしょ?見る?結構、上手く作れたんだよ?」

「猫にゃあ~」と、コートのポケットから朝也へのカードを取り出すと、虎先輩がよく『リスみたいな眼』と言うクリクリした瞳が、一層、まんまるになった。

「自分で作ったの?画家って工作も得意なんだね」
「彫紙アートって言うの。作家さんの講習会に参加して教わったんだけど、俺、器用だって褒められちゃった。猫、カッコイイだろ?」

紙を重ねてアートナイフで切り抜いていく彫紙アート。
重なる色目も奥行きのある断面も美しくて、紙の種類も色も豊富な日本だから、こんなに繊細なアートが生まれたのだと思う。モチーフはバラの花束を担ぐクールな猫。細かい所で粗が目立つから完璧とは言えないけれど、艶夜さんは「すごくいいね」って笑ってくれた。
店内の曲がオルゴールの可愛い音から懐古調の落ち着いた音色に変わって、窓辺を温める午後の陽射しをまるくする。ティータイムを楽しみに訪れる客で表の待ち合いの椅子も座りきれないようだ。

「ねぇ、艶夜さんの好きなフレーバーって何?」

艶夜さんのトレイには、好奇心旺盛な虎先輩が喜びそうな派手なフレーバーばかり五つのカップケーキが乗せられていて、きっと、この人は自分のぶんなんて考えもしないのだろうと思った。その答え合わせのために聞いてみたんだ。

「艶夜さんなら、どれ食べたい?」
「俺?うーん……シンプルなもの。バニラとか……、ぁ、アップルシナモンは美味しいかもしれない」

ほらね、どっちもトレイにない。俺だったら自分の好きなフレーバーも混ぜちゃえとか、そのぶん余計に買っちゃおって思うけど、艶夜さんは只々、虎先輩のことしか頭にないんだ。
彼が九個分の虎先輩の好きを詰めて、頬張る彼にお茶を淹れて眼を細めるとしたら、俺は八個分の朝也の好きに一個の自分の好きを混ぜて、朝也がそれに気づくかを見ていたい。

『俊平はクランベリーだよな?』

って寄越したら、合格って、いっぱいキスしてやろうと思う。そんな馬鹿げた『好き』の確認に意味なんてないけど、気持ちのどこかで安心できるなら、俺はいっぱい朝也を試すのだと思う。朝也の気持ちを疑うとか足りなく思うとか、平穏そのものの共同生活に何ら不満はない。ただ時々、俺は欲張りになって、もう、うんざりするぐらい愛されたくなってしまうんだ。

「甘えてるよなぁ……」
「うん、甘そうだよね、アップルシナモン」
「え?」
「ん?」

首を傾げて俺を見る黒真珠のように綺麗な眼が、次の瞬間、糸のように細くなって、

「環は、わかりやすいね」

朝也のぶんと俺のぶん、無意識にトレイの上で分けていたのを笑われた。

 


蜂蜜色の紙袋を提げた帰り道の足取りはアダージョ。
駅前の大通りへ出た横断歩道の手前で電車が近付くのを見て、けれど、艶夜さんも俺も急ごうなんて気はさらさらない。今日は付き合ってくれてありがとうって言おうと思ったら、先に「誘ってくれてありがとう」と言われて、うんと言ったきり、どうしてかその先が続かなかった。

「神月がどうして環がいいのか、君とこうして出かけるようになって分かった気がする」
「ぇ?」
「君は飽きないよね。時々、冷や冷やしたりビックリさせられるけど、たぶん、一緒じゃなかったら、経験しないようなことや面白い考えとか、色んな意味で刺激的で飽きないよ」
「……」

そよぐ風は甘やか。
そして、艶夜さんは「また、誘って」と、青信号を指差した。


I hope it will be a good Valentine’s Day.

                          

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東北・関東での地震で被災された皆さま、お見舞い申し上げます。

3.11の余震だそうですね。
一斉にテレビ番組が報道に変わり、広範囲での大きな揺れと報じられて心臓がバクバクしました。
今なお、不安を抱えて御不便をされている方も多いと思います。寄り添う言葉の何も被災地から遠くに住む私が発するには薄っぺらい気がして、只々、これ以上の被害がないこと、そして、一日も早く平穏な日常が戻ることを切に願っております。

さて、皆さんはもう、大切なひとにバレンタインギフトをお贈りになりましたか?
バレンタインデーの本日、Attic.より企画短編『天使のカップケーキ』の更新をお知らせします♡
このような大変な時に不謹慎かと見送ることも考えたのですが、コロナだ災害だと落ち着かない時だからこそ、ひとときの気分転換になれば嬉しいなと、更新させて戴くことにしました。
俊平と艶夜のふたりが洋菓子店を訪れるという(だけのw)5000字弱のちいさな物語ですが、たかみんが設計した可愛いお店の画像をとっかえひっかえ見ながら、口の中も甘ったるく書きあげました。
後日、Attic.+(当シムズサイト)より、そのデザイン『Doigts de fée(ドワ ドゥ フェ)』の全貌も明らかになると思います。ぜひ、そちらもお楽しみに……ヾ(*´∀`*)ノ

本日のたかみんからの雑記画像は、そのパティスリーになります。
フラミンゴピンクが可愛くて、実在したら相方と長居決定な甘やかHappyなお店です♡

『Attic.』&『Attic.+』では、ご意見ご感想、登場人物へのレターなど、いつでもお待ちしております。どうぞ、お気軽にお寄せください。
それでは、楽しいバレンタインデーを……❤

Happy Valentine’s Day.

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 階下で遠慮がちにガラリと玄関の引き戸を開く音がする。……虎だ。
 俺たちが住むこの家は年代物の古民家で、商業ビルやオフィスビルの林立する中心地から少し外れた下町にある。近年、レトロな雑貨屋や洒落たカフェが増えて、フォトジェニックな町として若い女性に人気があるようだ。先に住み出したのは虎。藤丘虎ふじおかとら。俺、四室艶夜しむろえんやの一応……恋人。家主は寿司屋の元店主で、虎は何処まで本気なのか、今は賃貸契約のこの店舗兼住宅をゆくゆく正式に譲って貰うと言っている。
 大晦日も夜遅くなると静かだ。
 近所迷惑を考えて、いつも住宅地への路地を入るまでにエンジンを切る虎が、駐輪場に使っている一階店舗の玉砂利へ車体を入れる気配がする。降りようかと思ったけど、読みかけの小説があと二頁でキリが良かったから俺は自室のベッドを離れなかった。膝下を布団に突っこんで枕元のチョコレートをひと粒、口へ放る。

「冷やこいのぅ」

 ミシと軋む廊下の方で声がして、背を丸めた長身がのっそりと襖を開けた。今朝、見送った俺でさえ、そのダウンジャケットの黒々とした威圧感にギョッとするのだから、視界の悪い夜に表の曲がり角で出くわしたりしたら、さぞ怖いんじゃないかと思う。

「ただいま、艶夜。起きていたのか」
「おかえり、久しぶりに聞いた」
「何が?」
「虎の方言」
「ぉ?……おぉ。外、めちゃ、さみーよ」

 照れ臭そうに笑って腰を折った虎が、俺の身体には触れないように唇にキスをした。相当、身体が冷えていて俺に移すまいとしたのだろうけど、近付いた顔から冷気が伝わってくる。袖を引くと夜露か雪か湿っていて、両腕に抱き寄せたら驚いたのか虎は僅かに腰を引いた。

「ちょっ、いつになく積極的なの嬉しいけど、俺、冷えてっから」

 だから、抱きしめてる。
 だから、抱きしめてる。
 だから……、
 グシュンとクシャミが出て、カッコつかない俺を虎は大笑いして押し離した。

「だから、言ったじゃん」
「……、お茶でも淹れるよ」
「先に風呂入ってくるわ」

 余程、外は冷えていたらしい。
 虎がいなくなると、部屋の空気が一段と冷たくなった気がする。今年もあと一時間を切った。

 


 湯上りの虎を待って、下の和室で緑茶を呑む。
 炬燵こたつに蜜柑、テレビでは歌合戦がもう終盤で、時折、ヒュォオオと強い風が小さな中庭の方で硝子戸を震わせた。実家暮らしの学生時代から時代が逆行しているんじゃないかと思う今の暮らしを俺は案外、気に入っている。



「明日も仕事なんて大変だね」
「今日明日が踏ん張りどころ。俺は早出の15時アップでいいってさ」

 虎が働く美容室は場所柄、ホステスさんたちの利用もあって閉店時間が遅いんだけど、大晦日から三が日は初詣や年始の挨拶で着物の着付けを予約する客が多く、早朝から店を開けるんだ。腕の良い師範がいて、ヘアセットやメイクも一処で整うのが好評らしい。

「早出って何時?」
「準備もあるから、6時。着付けの助手な。お嬢さんたちの髪、綺麗にしてやんねーと」
「嬉しそうだね」
「晴れ着の美人祭、羨ましいだろ」

 好き者のツラで笑っても、俺は本当の理由をわかっている。虎は美容師の仕事が大好きなんだ。女の子が自分の手で綺麗になっていくのが嬉しくて堪らないんだ。彼女たちが帰り際、来た時よりも顎を上げて『ありがとう』って店を出て行くのが誇らしいんだ。そのために技術を磨いて日々、努力しているのを俺は知っている。そんな虎がカッコイイと思う。たとえ今、うつらうつら寝かかって、年上の美人演歌歌手にやに下がっていようとも……。

「虎、好きだね。この人」
「色っぽいよな」

 毎年、こんな調子だ。
 画面の向こうでは良く口に入らないなと思う大量の紙吹雪が舞っている。銀糸の贅を尽くした着物姿は凛と気高く、和傘を手にした舞人を従えて、蠱惑的な眼差しを彼女は此方へ向けていた。

「母親と歳、変わらなくない?」
「ぁあ゛?もーっ、今、母さんの顔が邪魔した」
「あははは、馬鹿だ」

 虎が好きだ。
 飾り気がなくて真っ直ぐで、俺の何が良いのか好き好き言って、全然、好きを返させてくれない虎が好きだ。俺はタイミングをいつも逃してウンとか曖昧にしてしまうけど、拗ねたツラで恨めし気に見てくる、そんな虎が好きだ。そして……俺に、俺でいさせてくれる虎の傍が好きだ。
 今年の初めは、もう少し俺からも好きを伝えようと思っていたけれど、たぶん、一度も言わないまま、また一年を終えようとしている。

「ぁ……」

 茶柱が立った。

「虎、あのさ……、」
「お前も食う?」

 蜜柑の甘い香りが暖房で温まった部屋にパッと広がって、

「あっ!」

 ポーンと天井に弧を描いた蜜柑に俺が気を取られた隙に、もう一個、凡そ炬燵を挟んだ近距離の人間に寄越したとは思えないスピードで投げつけてきた。子供なんだ。
27歳なんて嘘だろう?ってくらい、虎は子供なんだ……。

「虎ァー」

 畳に転がった蜜柑を拾って呆れている俺に、虎は大欠伸を一つして、ゆったりと腰を上げた。

「すまんすまん、わかってるって。年越し蕎麦だろ?」
「眠たいならやめとく?」
「平気。お前のトロくせぇの笑ったら、目が覚めた」

 口も悪いけど、虎の笑った顔は屈託がなくて、俺はつい何でも許してしまう。
 テレビでは賑々しい歌合戦のグランドフィナーレも終わり、料理の得意な虎は出汁から拘った旨い蕎麦を食わせてやるとキッチンへ入って行った。残された俺は、

「また、言えなかった……」

 番組が変わって、ゴォーンと一発目の除夜の鐘を聞いたところで、大の字に転がるしかなかった。

 


 年が改まった。

「「せーの!あけましておめでとうございます」」

 ふたり対峙して、大真面目に頭を下げ合う畏まった挨拶は毎年のこと。

「……っふ、ぁははははは……」

 照れ臭さ60%、可笑しくて深夜に構わず笑ってしまうのも恒例だ。

「何で、こんなことするようになったのかな?」
「実家の決まりっつーか、これやんねーと正月がキターって気がしねぇんだよ」
「どうして、俺が付き合わされてんだ?」
「俺一人で、どこ向いて挨拶しろってんの」

 いいから食えと、虎は食べかけの蕎麦を指差した。きっかり、0時。
 毎年、蕎麦を食べていようと作っている最中だろうと、電話中もトイレもお構いなしに声が掛かる。
虎の実家は老舗の旅館で、正月の挨拶まわりも欠かさない、ちゃんとした家なんだ。

「蕎麦、いい味してる」
「トーゼン。俺の腕がいいからな」

 汁を飲み干す勢いの俺に満足げに目を細めた虎は調子づく。ふわっふわの玉子とじが夜更けの腹に優しくて、柚子の皮を刻んだのが仄かに香って爽やかだ。わざわざ、枕崎の木枯れ節を手配する拘りようといい、本当に食に対して貪欲なヤツだと思う。

「あんまり舌が肥えたら、どうしようって思うよ」
「何で?いつでも、作ってやるじゃん」
「ぁ、うん……。そうだね、期待してる」

 意味が違うんだけど、今、話すことでもないから呑み込んだ。
 跡取りの一人息子が女将になる嫁さんを迎えて旅館を盛り上げてくれる日を、彼のお母さんが心待ちにしていることを俺は知っている。虎の味に慣れてしまったら、いつか独りになった時、俺は何を旨いって思うんだろう……?

 ドガッ!

「……っ痛」
 炬燵の下で脚を突き蹴とばされた。

「っぶな……虎、なんっ……?」

 何だよ、と言いかけて追い討ちの足蹴りをもう一発食らった俺は、手を温めていた余熱の丼鉢を離してしまい、それはゴトンと音を立てて天板の上で揺れた。

「俺、もっと上達して、一生、満足させてやんよ?」
「へ?」
「年越し蕎麦。あと50食、いや、100食、目指しちゃう?」

 虎はニイッと笑って、向こう側から俺の両手首を挟みこむように掴んでくる。その眼は本気だ。
言う事の大半、大雑把で根拠がなかったり突拍子も無かったりする虎が、たまに見せる本気の静かな光を宿した眼だ。たとえ、言っていることがやっぱり途方もなくても、言霊のように信じさせてくれる……そんな瞬間が虎にはある。
 目頭がカッと熱くなって、ヤバい、コイツ好きってなったけど、今、口を開いたら、みっともないことになりそうで俺は困ってしまった。

「虎ってカッコいい!今のはズルいわ、惚れ直しちゃう、とか思った?」
「思、うわけないだろ」
「お前、顔、赤いよ?」
「嘘だ」
「赤い赤い」
「うそだ」
「……うん。嘘だな」

 子供を諭すように嘘にしてくれた虎に胃や鳩尾みぞおちでも火がついた。
 「手首細ぇ、ツルッツル」とか言って俺の手を弄っている虎が、体温の高い手で指を一本一本マッサージするように開いていく。思わず手を引っ込めそうになるのを絡められた五指に阻まれ、ギュッと握られた。その指先が割れてガサガサに荒れているのを愛しく思う。美容師という仕事柄、客に不快な思いをさせないよう指先のケアは一入、念入りな虎が、それも追いつかないほど忙しく頑張っているのは、やっぱり、すごくカッコいいと思う。

「……嘘。ちょっと思った」
「え?」
「さっきの……少し思った」
「俺ってカッコいい」
「うん」
「マジ?」
「少し」
「そこ大事?」
「だいじ」

 手を取り合って、フフッとか笑って妙な気分だ。恋愛ドラマならここで盛大に主題歌が流れて、ふたりはキスをするのだろう。けれど、疲れを滲ませている虎は自分の腕に頭をもたげ、うっそりと笑うばかりだ。重い瞼に抗って首を緩慢に捻る姿は猫のようで、離すまいと繋がる手指の爪が俺の皮膚に食い込むほど立てられている。

「知ってた?猫って飼い主といてリラックスしている時にも爪を立てるんだって」
「何オレ、艶夜に飼われちゃうの?」

 それもいいな、なんて虎は笑って、頭を撫でようとした俺の手をニ゛ャとあんまり可愛くない濁声で払った。二度三度と猫じゃらしのような攻防を繰り返し、炬燵の下では行儀の悪い足がウリウリと指で膝を突いてくる。

「虎、そろそろ寝たら?」
「正月早々、ひとり寝させんのかよ?」
「だって、朝、早……っ、ちょ、足癖わるっ!」

 ゲシッ、ゲシッゲシッと蹴られて、態勢を崩した拍子に長い脚に膝を割られて俺は焦った。
 すかさず股座を嬲ってくる無作法な足にたじろいで逃げを打っても、天板の上では虎の手に捕まって他愛なく腰が揺れる。炬燵の温度がひとりでに上がるはずはないけど、熱くて、遣る瀬なくて、グリグリと踏みつけられるペニスが大きく脈打つのを絶望的な思いで堪えようとした。

「……っ、ぁ……虎、よせっ……」
「なぁ、ヤんね?」
「怒るよ?」
「だって、お前、可愛いもん」
「ぁあっ?……も、ダメだって。やめ……、やめろ、バカ!」

 疼きが甘い痺れに変わって、不埒な征服者の悪びれる風もない顔に奥歯を噛んだ。子供だ。時折、虎は悪戯の加減が判らない子供になって俺を困らせる。与えられる刺激のスピードが増すにつれ、正月早々、何をやっているんだという呆れた思いと、いっそSexに縺れ込んでしまえばいいという欲情と……、けれど、何より勝ったのは虎に早く寝て貰わないと仕事に障るだろうという、つまらない真面目人間の思考だった。

「悪ふざけは終わりだよ、虎」

 手を振りほどいて転げるように炬燵を出ると、虎は傍へ回り込んでくる。叱られ慣れしてるから、俺が語調を僅かに冷たくしたのを瞬時に察したようだ。

「怒った?」
「怒るよって予告したよね?」
「じゃ、ハグしてよ」
「ぇ……」
「してくれたら、おとなしく寝る」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」

 軽い調子で二度繰り返される言葉なんていい加減なものだ。それに、さぁ、来いとばかり両手を広げられて、ではもないだろう?きっと虎は、俺が然程、怒っていないことも押せば押し切れることも解っていて、わざと俺が照れて動けなくなるようなことを言っているんだ。どうしてそう思うのかと言うと、今、虎にとって困り顔でモジモジする俺を面白がる方が魅力的だからだ。きっと、Sexするには虎の方が体力が限界で、それでも俺とイチャイチャはしたいという……俺に求められているのは、せいぜい湯たんぽになれってことぐらいだと思うんだ。ほんと、甘えたヤツ。

「回れ右して」
「やっぱ、ダメか」
「後ろ向いて」

 要求が却下されたと思っている虎が「残念」と、ちいさく哂う。
 俺はその背中に耳を当てた。ピクッと背筋を伸ばした虎が振り返ろうとするのを、ギュと抱きしめて阻む。……温かい。虎は体温が高いんだ。

「今夜は一緒のベッドで寝よっか」
「マジ?」
「ここを片付けたら虎の部屋に行くから、先に上がってて」
「俺に甘い艶夜、最高」

 さっきまで眠そうにしていたヤツが勢い反転した身体に俺を抱き込んで、その表情は爛々と『嬉しい』が顔からはみ出している。虎がこんなヤツだから俺は絆されるんだけど、あんまりあけすけで、どんな顔して受けとめれば良いのか時折、恥ずかしくなってしまうんだ。

「おやすみ、虎」
「おっ。早く来いよ」

 もったいぶった短いキスのあと、思いのほかアッサリと虎は階段を上がって行った。

「……ハグしたのマズかったな」

 足取りの軽さに俺はシマッタと頭を掻く。あの調子だと元気になって添い寝じゃ済まなくなるだろう。もっとも俺も良い感じに温まっていて、もしかすると、添い寝で済ませたくないのは俺の方かもしれないけれど……どうにも少し時間を置いた方が良さそうだ。
 ゆっくり丼を洗って、観葉植物に水をやって、ズレてもいない鏡餅の位置を整えよう。
 寝酒に一杯、戸締りは二周。そうだ!虎の仕事が終わる頃、店に迎えに行こう。一緒に氏神さんを詣でて、いつもの鯛焼き屋は……正月は休みかな?
 初詣のために集めたピカピカの五円玉をテーブルに並べ、5円、ご縁も9枚数えて始終ご縁、一生の計と言ってもいい『好き』を今年こそ虎に伝えたいと願う。
 そうするうちに静かな寝息を立てて、虎がベッドを温めていてくれるだろう。

「湯たんぽは虎の方だ」


 初日の出は午前7時5分の予定。
 ニュースは正月寒波になると注意喚起を促していた。

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寒中お見舞い申し上げます。
いつも『Attic.』&『Attic.+』を応援して戴き、有難うございます♡
今年のお正月は如何お過しでしたか?
世の中まだまだ侭ならぬ年明け、宙水はベランダで初日の出を拝み、ピカピカの五円玉を手に近くの氏神さんを詣でてきました。あとはひたすら家で食道楽。気のせいか、例年以上にスーパーの全国銘菓の特別コーナーが充実していて目移り激しくてですね(^_^;)いくつ買ったかしら?たぶん太りましたね……怖くて年明け未だ体重計に乗っていません。

さて、年始一発目の更新は遅ればせながらの年越し企画『好きっていいたい』になります。
TOP画面の新着記事もしくは『企画/季節もの』よりお読み戴けるので、是非、虎と艶夜の同級生コンビの大晦日を覗いて行ってくださいね。年越しと言っても、きっと地域によって色々な風習があると思います。うちは面白いよという御当地自慢は有りますか?もし有ったら是非、聞かせて欲しいです♪
宙水の家では虎ほど改まらないけど、やっぱりゴォーンと共に「あけましておめでとう」を言って、さ、寝よか……ですね。お蕎麦は寿司を買って夕食に食べちゃいます。
子供の頃は『夜更かししていい日』で、除夜の鐘を聞きながら家族で蕎麦を食べるのが嬉しかったな……。今、我が家にはこたつがないのですが、年末に『好きっていいたい』を書きながら、こたつ欲しい~って足元の底冷えにブルブルしましたよ。今年の年明け、寒かったですよね……゚(゚´Д`゚)゚
ああ、脱線してしまった……。

ところで『Cry for the moon.』ですが、このところ、一気読みしてくださる方が何人かいらして、更新を止めているのが心苦しく本当にごめんなさい。面白いかな?どんなふうに思ってくださっているのかな?と、いつもドキドキ胸を高鳴らせております。
昨年は思いがけず物憂くなったり、スランプで行き詰まったり、とどめに秋頃から肩を痛めて未だに注射の世話になる始末で諸々滞ってしまいました。
今年は気分一新、サイトを盛り上げて行く所存、執筆も頑張って進めます。

今回の画像は↑家で寛いでいる艶夜ですね♡
虎と艶夜の住む家は宙水が間取りなど図面もどきを作ったのだけど、何とそれを元に、たかみんが画像におとしこむために家ごと作ってくれまして、もうビックリ……💦内装や建具などは相方のセンスに任せっきりの私ですが、何だかいい感じに仕上げてくれてホクホクしているのです(≧▽≦)

Attic.へのご意見ご感想など、お気軽にお寄せください。それでは、
どうぞ、本年も宜しくお願い申し上げます。

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チッチセミ表紙


 きっと僕は、人間だった。
 彼らが『感情』と呼ぶものを僕は持っていた。
 日がな一日、電柱に貼りついて幼なじみを覗き見しても、ストーカー呼ばわりする者はない。そりゃそうだ。僕は蝉だ。台風を5つ数えても、まだ生き粘っている蝉だ。

 稲刈町のたっちゃんは高校球児になるのが夢だったのに、今は洒落たオフィスの8階で『営業二課・榎本』のネームプレートを首から提げている。
 朝から上司に叱られて、給湯室で溜息はもう何回目?
 チェッチェッチェッと舌打ちして、自販機を蹴とばしている。
 チッチッチッと僕は、窓越しにエールを送る。

 輪廻転生を知っているか?と、昔、たっちゃんは僕に言った。
 中学生の夏休み、車に跳ねられてポーンと自転車から投げ出された僕は、真っ青な空を一匹の蝉が横切るのを見た。役場前のバス停では、たっちゃんが僕を待っている頃だった。また遅刻かよ、ってアイスキャンデーを買わされるはずが、僕が小銭を数えることはもう無かった……。



 たっちゃんに辞令がおりた。僕には到底、飛べそうもない遠くへ行ってしまうらしい。
 小さなダンボールを抱えて、大きな背中が3割減、縮んで見えた。僕は知っている。こういうの、飛ばされるって言うんだ。
 出来る限り高い所へしがみつき、僕は、2センチのカラダをちぎれんばかりに伸ばした。
 この身がもし、人間ほどに大きかったら、1000キロ離れようと声を届けられるのに。
 
 僕は、たっちゃんと同じ高校に行きたかった。
 ずっと親友でいたかった。
 ひきだしの奥に仕舞ったアタリ棒は、まだ3本あったはず、
 もっと、待ち合わせしたかった。僕は……、

 僕は、
 僕は、

 僕の……、それはきっと、初恋だった。

 チッチッチッチッチッチッ……、チッチッチッチッチッチッチッ……、
 チッチッチッチッチッチッ……、チッチッチッチッチッチッチッ……、
 チッチッチッチッチッチッ……、チッチッチッチッチッチッチッ……、

 よく晴れた午後、眩暈のするほど日差しの強い10月の月曜日。
 サヨナラの涙を流すこともできない僕は、腹の底からガンバレを叫び続けてオシッコを漏らした。はねは灼け、カラカラに涸びたカラダにはもう、どこへと掴まる気力もない。
 金木犀の香る里へかえりたい。
 役場前のバス停で「明日は何しようか?」なんて、たっちゃんと夕空を見ていたい。

 やがて僕は、アスファルトへ落ちていった……。
             
                

 僕は眼を開いた。手足を丸くして真綿にくるまれている。
 ぼんやりと霞む視界にオレンジのカーテンが揺れて、僕がギャアと声をあげるたび、夫婦は笑いさざめく。男は調子外れなゆりかごの唄を繰り返し、震える両手で、王に献上品を捧げる恭しさで僕を抱きあげた。ベッド脇に置かれた半紙は見覚えのある右上がりのクセ字が懐かしい。
 僕の新しい名前だ。
 
 命名  榎本 犀生えのもとさいせい

 嗚呼……、
 こんなはずじゃなかった。


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