今朝の梅雨寒が嘘みたいに晴れてきた。
着る物を誤ったねなんて笑って、俺と朝也は郊外にある地元野菜の美味しいピッツェリアから駐車場へ歩いていたんだけど、4度無視した電話がまた鳴り出して、しつこいったらない。
仕方なく出て、1秒で後悔。
Ugh!と天を仰いだ俺を笑った朝也は、少し離れた所で明後日を向いていてくれる。
俺、環俊平は『Shun』の名で少しばかり個展を開けるようになったNY仕込みの新進画家だ。
今日はドライブがてら画材の買い出しをして、夜は8室しかない隠れ家のようなオーベルジュに一泊する。特別、観光したい所もないけれど、日本の梅雨の蒸し暑さに寝不足気味の俺を見て、朝也が『ベッドを変えるか』と連れ出したんだ。もっとも俺は、ゆっくり寝られるとは思っていないけれど……。
電話の相手は同業者でBedford Ave.ベッドフォード・アベニューにある新装カフェの内壁画を一緒に描いたことがある。
才のある人だし、俺の腕を見込んで仕事に誘ってくれたのは有難かったけれど、日を追うごとに雲行きが怪しくなって、興味深い芸術談議も最後には夜の誘いに終着する、そんな男だった。
ワライカワセミのようなけたたましい声で『久しぶり』だの『どこにいるの?』だの気味悪いほど陽気に捲し立てるのは、黙ってニューヨークを離れた俺を責める訳ではないと機嫌をとっているつもりか……?いつも、そうだった。俺が何度、拒絶しても笑っている。
『年下だからって、所有物扱いされるのは反吐が出るんだけど』
そんな言い方をした時も『しょうがないな』って、まるで、振り向かない俺の方が我儘を言ってるみたいな調子で全然懲りないんだ。こういう手合いは彼だけじゃないけど、どうして俺なんだろう?って、いつも思っている……。

「Don’t call me anymore.」

話の切れ間がないのを二言三言で遮って、もう電話して来ないでと俺は一方的に電話を切った。

「どこで、この番号を知ったんだろうね?」

お待たせと振り向いても、朝也は誰からとは問わない。
小難しい顔つきで一瞬、俺を注意深く見たのは、会話の内容を薄々察しているのだろう……。だったら、少しぐらい嫉妬してくれてもいいのに、このクールな恋人は何も言わずに歩き出すんだ。

「俺に夢中な男だよ。参ったな、まだ諦めてないなんて」

訊かれもしないのに言ってみる。

「そうか」
「それだけ?」
「お前は断った。俺はそれならいい。……が、」
「言い方がキツいって言いたいんだろう?何度も言われてる」
「……」

口の端を緩めた朝也は笑ったようだ。口汚いスラングまで通じてしまうなら、朝也の前では英語で話しても気が抜けないと忍び笑う。内緒事はもちろん、ノリで交わす睦言も今日みたいなお行儀の悪いサヨナラも聞かせたくはない……。

「お前は優秀すぎるね」
「俊平は顔に出るからな」
「うっそ……、鏡を見て話そうかな?」

長身を見上げて笑った俺につられたか、朝也の笑顔が青空に眩しくて、失いたくねぇなって思った。
たまに、時々、不意にそう思うんだ。朝也を失いたくない、フられたくないって。
頭の中じゃ、もう何度もフられていて、朝也の『隣』から脱落する自分を想像おもっては、寂しくなってんじゃねぇよと嗤っている。困ったことに幸せな時ほど、この念に駆られるんだ。朝也が俺に笑い掛けるたび心臓がズキッとして、俺は胸の内で朝也に問いかける。


どうして、お前は俺といるの……?

「俊平?」
頭上から降って来る声は、ひどく甘い。

「ボッーとして、どうした」
「ううん、朝也は……わかっているのかなぁ?と思って」
「何を?」
「俺が顔に出やすいってさ。それ、朝也が始終、俺の顔を見ているってことじゃないの?」
「ぁ?」
「だから、気付けるんじゃない?」

どーだよ?と調子づいた俺に朝也は噴き出して、
「そうかもしれない」
と、大真面目に頷いた。こんな些細な遣り取りすら、俺の心は弾む。
肩を並べて朝也の手にそっと甲を触れると、応えるように絡められた指の一本を掌にギュッと掴んだ。もっとも、塀の向こうから子供が飛びだしてきて、すぐに離してしまったけれど……。

「俺ね……人からの好きが良く解んなかった。皆、好きとか愛してるとか言って、俺のどこが好きなの?って訊くと大抵、黙ってしまうの。どうせ、カラダ目当てだろ?ってシラけてた」
「……、……?」
「あぁ、お前のことじゃないよ?」

目と目が合って、けれど、朝也は息を呑むついでに言葉も呑み込んでしまったみたい。
この寡黙な男は瞬時に自分の発する言葉の要不要をジャッジして、本当に必要な時に最低限の言葉しか伝えて来ないところがある。たまには無駄な言葉も吐いてくれていいんだよって思うけれど、朝也がそういうヤツだから俺は信頼しているんだ。
遠く、山の稜線に白い雲が掛かるのを真昼の蒸し暑さを孕んだ風が忙しく追い立てていく。
草の香のする駐車場に車は数えるほどしかなくて、片隅に自動販売機とベンチを見つけると、俺たちは暗黙の了解とばかりスモークブレイクをとった。むしろ、朝也の一歩の方が積極的に思えたから、俺の話を最後まで聞くつもりがあるらしい。
「……でもさ、」
と言いかけて、朝也から火を貰った。

「カラダ目当てから始まる恋愛もあるのかもって、時折、思うようになってさ。俺の何が好きって必死に言葉並べるヤツもいるけど、それ、どこの神様よ?ってくらい俺じゃないしね。そんな不確かなものなら『カラダが好き』も『何となく好き』もスキの理由には成るのかなぁ?って思ってさ」
「ちょ、俊平!」
「あー、だからって、間口広げて安売りするわけじゃないから」
「……そうか」
「今の慌てよう、写真撮っとけば良かった。いい男は慌てぶりもクールだね。まぁ、俺は朝也のどこが好き?って訊かれたら、三日三晩、寝かさず耳元で話してあげられるけど……聞く?」
「訊かね」

ムスッと顔を背けた朝也の表情に懐かしい色を見て、俺はその項に手を触れた。ビクリとした朝也が怪訝な顔つきで俺を振り返る。高校生の頃、俺のとばっちりで一緒に廊下を走って先生に叱られた時の、あの不本意を全面に貼りつけたフテた顔だ。そして、そこからの……、

「ほら、お前は、このタイミングで笑うんだよな」
「ん?」
「いや、何でもない。……うん、まぁ、だからね。さっきの話だけど、俺は誰に好きと言われても一過性のものだよって笑い続けてきたんだ。それでも本気になられたら腹括るしかないよね。そういう時はさ、受け入れるも拒むも真剣に向き合わなきゃダメだと思うんだよ」
「……ぁ?あぁ……」
「それが、俺の拒絶が容赦ない理由。ぬるいのダメなんだ。つまりね、朝也……」
「……」
「俺をフる時はどうすればいいか、わかった?」

…………………………。


どうして、そんなことを言ってしまったのか。
例の弱気の虫に言わされたんだ。隣に置くのに俺は相応しくないと思ったら、その時は容赦なく切ってくれみたいな……そんないじけた気持ちが妙な具合に口をついて出てしまった。
シマッタと唇を噛んで、大きく肩で息をついて……、

「悪い。つまらないことを言った」

根暗を払拭するように声を上げると、俺は煙草の火を消して居たたまれず、先にベンチを立った。
まだ若い錆の匂いが微かに鼻先を掠め、それはそのまま未熟な自分を思わせて溜息をつく。車へ歩き出した後ろで朝也の動く気配がして、路上に色濃く揺れる自分の影が一回り大きくなった。

「お前は面倒臭ぇな」

頬を打つ風がやわらかい。
どうせ面倒臭いよと苦笑わらって、俺はクラクラする陽射しに目を細め、歩調を速めた。
重なった影は付かず離れずついてきて、俺は背中いっぱい朝也を意識している。
不意に風が動いて、バシンと音が鳴る勢いで尻を叩かれた。痛いと文句を言う間もなく、かなりの重量で降ってきた腕に強く肩を抱かれ、びっくりした俺は口をパクパクさせるばかりだ。

「そんな日がくると思っているのか?」
「……な、」
「まだ、そんな日がくると思っているのか?」
「……来ないのか?」
「来ねぇだろ」

愚問と言わんばかりに薄らと笑う朝也の横顔が頬を熱くする。
やべぇ……、今夜の睡眠時間の確保なんて、どうでも良い気がしてきた。



「次、俺が走らせていい?」

車のキーを受け取った頃には風が次の雨を運んできて、首筋をじとりと汗が伝っていった。
この週末の雨を遣り過ごしたら梅雨も明ける。
もう、俺は朝也と過ごす夏のことしか頭になかった……。

                                                                                 
                                                                                         Fin.

                             

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久しぶりの雑記になります。皆さま、こんにちは<(_ _)>♡
コロナ禍に慣れたくはないけれど、尚、自粛続行の宙水は食べるのだけが楽しみで間違いなく太っちゃいました💦これはヤバしと、狭い家の端から端を無闇と往復しています。後は音楽くらいかな? (´;ω;`)ウゥゥ
音楽……、ええ、夏を迎えるとワンオクを聴きたくなるんですよ。
そういえば、昨年の夏は短編『Blue on blue.』を書いたんだけど、その時もテンションを上げるべく家事のお供に手当たり次第、ワンオクのアルバムを聴いていましたwスコーンと突き抜けるヴォーカルの高音と力強いSoundが心地いいんですよね~(≧▽≦)

さて今回は、小話『フリカタ、フラレカタ』の更新をお知らせします✨
これまで、小話は台詞だけか心情だけかの小さなお話だったのですが、宙水が欲張りになったんですよね……、何だか物足りなくて温めていた作品を新たに書き直しちゃいました。
いつもは気が強くてエラソーな俊平も、殊、朝也を想うとつまらない思念ばかり巡らせて気弱を覗かせる。そんな彼の恋愛の仕方が窺える3500字、たかみんが物語に添えてくれた画が宙水のモチベを牽引してくれて、色味も雰囲気もすごく好きな感じに仕上がっているんです。
見て戴けたら嬉しいなヾ(*´∀`*)ノ

今回のたかみんからの画像はオヤスミ中の俊平さん。
寝ても寝足りない気圧の変動の激しい梅雨もそろそろ明けようかというこの頃、ぐっすり眠っている俊平が可愛くてたまりません(((o(*゚▽゚*)o)))

世の中は未だ落ち着きませんが、皆さん、夏到来を如何、過ごされますか?
宙水はえっちに苦戦中(笑)の『Cry for the moon.』に集中……キモチイイ文章をキモチヨク書けるといいなぁと、日々、朝也と俊平に向き合っております(;^ω^)
そして末筆ながら、いつも『Attic.』&『Attic.+』を応援してくださる皆さま、有難うございます。
当サイトでは、ご意見ご感想、登場人物へのファンレターなど、お待ちしております♡
どうぞ、お気軽に拍手ボタンをポチッと押して、話しかけてくださいね。

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2017年6月2日
それまで、たかみんと二人きりで楽しんできた創作の手を広げ『Attic.』&『Attic.+』が生まれました。
早いものですね、あの日から丸3年です。
『見せる』世界を意識して『魅せる』世界を希む……第一回目の雑記に書かせて戴いた時の気持ちは今も変わりません。それでも、ふたりよがりになっていないかな?楽しんで戴けているのかな?と心配性の宙は時々弱気になって、これまで戴いてきた温かいコメントを振り返っては励まされております。


シリーズ『夜の虎、月に猫』たかみんが朝也と艶夜を、宙水が俊平と虎のキャラ設定を組んで、クロスさせたCPでライフワークのように紡いできた4人の物語。
小説担当の宙水はプロットもなしに頭の中で物語を構築していくので、画像を求める短編や企画作などは毎度、たかみんとの擦り合わせでバタバタするんです。事前に「こんな感じで考えておいて」と予告しても内容も知らずに画を創るのだから、たかみんの負担は大きいはず💧それでも、思った以上のクオリティーで仕上げてくれるので、文章を擦り合わせて整える際に更に手を加えたくなるんです。
逆も然り、画像先行の場合も画像が引き立つ文章をと熱が入り、予定字数をオーバーする作品になると、たかみんが「もう一枚、作らせて」と画像を増やすことがありますw
この、画も文章もどちらが主役もないバランスを宙は心地よく思っていて、Attic.をオープンする前の仲良しこよしの関係が、より良いものをと切磋琢磨できる関係になった手応えを感じています。学生時代からの腐れ縁、そんな遠慮のない仲だからかもしれません……。
これからも、相方とガンガン意見を交わしつつ、皆さんに楽しんで戴けるサイトを、そして、自分たちが大好きと思える作品を共に創っていきたいと思います。


丁度、一年前にAttic.のリニューアルにて様々な機能が追加されました。
皆さま、ご利用戴いていますでしょうか?
各ページへのジャンプ機能の充実、しおり機能のBOOKMARK、GALLERY、また、各記事の下にひっそりと(笑)拍手ボタンがあり、気軽にポチッて戴けます。お名前を戴いた方には後ほど『拍手お礼』にてお返事させて戴きますし、ご自分宛の返信をサクッと検索できるサーチも設けております。入力の注意をご確認の上、奮ってご利用くださいね<(_ _)>♥


『Attic.』&『Attic.+』は、明日から4年目の扉を開きます。
ご意見ご感想、登場人物へのファンレターなど皆さまからのエールが私たちふたりの創作の糧、心よりお待ちしております。そして、皆さまにおかれましても、この屋根裏部屋が居心地の良いもので有りますよう、これからも頑張ってまいりますので、よろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。

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ニューヨークから7年ぶりに帰国して、3ヶ月。
俺としては今も恋人……の家に転がり込んで共に暮らして、3ヶ月。
高校生の頃には知らなかった朝也の色んな顔を知って、最初の緊張はどこへ行ったか、何だかんだいい感じに上手くやっている。そんな、梅雨も間近の欠伸ばかりしていた休日の昼下がり、図書館へ行くという朝也にくっついてきた。
広大な敷地に立つクラシカルな意匠の洋館は長い歴史の面影を今に残して、優雅な佇まいをしている。国内でも指折りの蔵書数、とりわけ専門書が充実していて、贅沢なスペースの取り方でテーブルが配されているのも長居をしてしまう要因だった。

「朝也と来るのは学生のとき以来だね」
「そうだな」

他には誰と?とは聞いてこない。恋人を束縛しない出来たカレシと、少しくらい干渉されたい俺。心の中で『ひとりで来るんだけど』と返答し、舌を打った。
温かみのある照明が照らす室内に人けは疎らだ。
カビ臭いと言ってしまうのは情緒がない湿り気と、埃っぽい古い紙の甘やかな香りが鼻先をくすぐる。

「このバニラの匂いが落ち着くんだよね」
「虎さんが絶対、トイレ行くやつな」
「あぁ、学校の図書室?あの人、30分もたなかったよね」

二つ上の虎先輩とは今も仲が良いけれど、何かと笑い話に事欠かない。しょうもない思い出話に二人して笑いだし、高い天井に声が響いたのを慌てて殺した。

「揮発性有機化合物、バニリンだったか」
「何?」
「この臭い。本がもっている化学物質が光や湿気に触れるこ…、」
「あー、そういうのいいから。朝也は今、俺のノスタルジックな感傷に水を差したんだからな?」
「はいはい」

いい加減な相槌で俺を御座なりにした朝也は、もう気持ちが建築関係の書に99.6%向いているに違いない。迷いもなく奥の書架へ最短ルートを行こうとして、階段の下で足をとめた。

「俊平は、どうせ美術書だろ?」
「どうせって何だよ。クリムトとモディリアーニの区別もつかないくせに」
「それ、高校の時の話だろ?」
「……ぇ、」
「いや、今も区別つかねぇかも」

同時代に生きたクリムトとモディリアーニは俺の目には全く作風も違うし、どう混同するのかも判らないけれど、どちらも女性の裸体を多くテーマとして肖像を描いている。苦笑いの朝也は責められないかもしれない。それよりも、朝也がそんな思い出の欠片をまだ持っていてくれたことに、俺は驚きつつも浮き立った。

「……で、俺が好きなのは?」
「クリムト」
「正解」

朝也の記憶力の良さは俺を他愛もなくゴキゲンにする。



朝也と別れて重厚な木調の大階段を2階へ上がると、ひっそりした美術書のコーナーは雨後の香りがした。色褪せた背表紙を見上げて、部屋の隅に置かれていた脚立を拝借する。
グスタフ・クリムトの画集だ。
テーブル席より脚立の上にいる方が照明に近かったから、誰もいないのをいいことに俺はそこで画集を開いた。大して見る者もいないのだろう。ページを捲るたびに陰気なカビの臭いが漂って、討ち取った男の生首を恍惚と愛撫する女に再会する。……『ユディトI』だ。

「やぁ、久しぶりだね……」

俺は画家だけど肖像画は得意としない。けれど、子供の頃からこの絵に惹かれていた。
胸をはだけ、昏い金の衣装に乳房を透かし、半閉じの目からは誇らしさが半開きの口許からは歓喜が窺える。その官能性は男性原理への反発とも女性原理の勝利のシンボルとも評されているが、もちろん、10歳そこらの子供が絵の背景を解っていた訳ではない。ただ、この絵のエロティシズムと美に内包される狂気を幼心に享受していたか……厳格で融通の利かない家に育って、後々、反骨心のようなものを揺さぶられることはあった。
朝也は俺がユディトと会うのをこころよく思わなかったと思う。
絵の好き嫌いじゃなく、俺が彼女を見る時の精神状態が追い詰められていてヤバかったからだ。大抵、家で一悶着起こして登校するなり図書室へ行き、荒んだ目で眺めている。それを見ていられないと朝也が追うようになって、彼といると俺の心は平穏だったから次第に彼女とは疎遠になった。今では悪くない思い出だ。

「君の前で朝也が俺にキスしたの憶えてる?」

恋とか愛とか、そんな甘いものじゃなくて、きっと、同情……。
原因なんてもう忘れたけれど、その日も俺は怒り狂っていて、たぶん、悔しくて泣いた。歯がカチカチ鳴りっ放しで、縋ったのは俺。朝也はただ黙って俺を抱きしめて、もう震えないように口を塞いでくれた。俺は、とっくに朝也のことが好きだったし、今の俺なら秒で蹴り飛ばしているしつこさで彼に付きまとって……、けれど今にして思えば、無口でも朝也が俺を無視したことはなかった。
朝也から唇を重ねてきたことにびっくりして、手に持っていた画集を床に落としちゃって、
『THE KISS』のページが開いたの、二人で気まずい顔してさ。
男にキスしたのなんて初めてだったろうに、先に視線を外したのは俺の方だった……。

 


トットゥルリーと鳥の声がする。
明かり取りの窓の向こうに空の青。こんな湿っぽい部屋で15の夏に浸っているなんて、我ながらキモチワルイ……。
「俊平?」
と、朝也が出入口から覗き込んで、俺はものすごく待っていたのかも。
ショップの外に繋がれた飼い犬が主人を見つけて尻尾を振るみたいにパッと視界が明るんで、緩んだ頬を「おう」とか言って引きしめた。

「用事、終わったの?」
「待たせた」

手でゴメンをつくる朝也の今日の収穫は分厚い本2冊だったようだ。
脚立の上から見る朝也は俺の見慣れない小さな朝也で、旋毛に寝癖を見つけたのを触ろうとすると「よせ」と苦笑いする。
「頭、撫でていい?」と図に乗って、
「よくねーよ」と手を遮られて、
脚立を蹴倒すぞと言われて、諦めた。
休日スタイルのくだけた朝也は仕事モードの整いすぎた彼より色気がある。短くした栗色の髪は長めの前髪を手櫛に後ろへ遣り、斜に射す陽に眇める眼はヘイゼル。素肌に白いシャツをゆったり着こなして、その皺の流れからも彼の骨格の良さが窺えるのが憎らしい。
こんな男と暮らしているなんて、今に心臓が一つしかないことを足りなく思うだろう。

「何を見ていた?」
骨の髄まで溶かされそうな声の低さも好もしい。
「クリムト」

膝の上の『THE KISS』は朝也の視線の先にある。
不意に真顔になった朝也はクリムトの絵を、ユディトを、今も気にするなんてことないと思うけれど、黙りこんでしまった。
……気まずい……。
あの頃を蒸し返す気はないから、フッーと細く息を吐いて目を逸らし、俺の中ではとっくに懐かしい思い出だと言葉を探す。
「俊平」
ぼそりと俺を呼ぶ声に朝也の感情が見つからない。
「俊平」
さっきよりもハッキリした口調で呼ばれて、俺は掴まれた腕を咄嗟に引こうとした。
『また、取りあげられる』と身構える気持ちが走って、そのあとを、絵を見ることも描くことも父に咎められた幼少期が鬱々と身体を冷やしていく……。
一瞬の怯えも見逃さない朝也は僅かに表情を曇らせて、俺を迎え入れるように腕を広げた。袖を掴み、もう一方の手を反対側の肩に触れようとする。まるで、木登りをして降りられなくなった猫でも助けるようだ。

「降りるから、そこを退いて」

と、本を閉じても、朝也は退こうとしなかった。
空気が動いて、唾を呑みこむ音が耳の奥をザワリと掻きまぜる。


俺たちはキスをした。


重ねた唇が震えているのは俺の所為。
傾いだ身体は心許なくて、絡めた指と指をぎゅっと結んだ手は、たしかな意図をもって俺の心に安寧を注ぐ。朝也、朝也と心裡で名を呼んで、頭の中は朝也でいっぱいで、ミシッと揺れた足場の覚束なさを熱い手に支えられ、もっと熱い息を求めて俺は朝也の愛を貪った。どんな辞書で調べても『愛』ってやつは不確かで、けれど、分け合うこの熱は信じられるから、俺は爪を立てて、その肩に縋った……。

「どうした?」
と、俺を見上げる朝也が優しく笑う。
「お前、必死すぎ。泣きそうな顔してどうした」
今度は子供をあやすみたいに俺の膝を擦った。
「ううん、綺麗な顔してキスするんだなーと思って」
「眼ぇ瞑れよ」
「やだよ、もったいない。朝也を見おろすなんて、そうそうないんだから」
「降りろ」
「降りない」

降りろ、降りないを何度か繰り返して、ふたりを包む風がまあるくそよいだから、朝也はしょうがないなって顔で片手に俺の腰を抱きとめ、もう一度、キスをくれた。




鏡に映る俺が不細工で見るに堪えない。
蕩けて緩みきった頬を叩き、トイレの蛇口に手をかざした。

『……どうして、キス、した?』

何で、そんなことを訊いちゃったかなと思う。
あれは誘われたキスだったから、好きだからとか、したかったからとか、朝也が『THE KISS』に動かされた理由にそんな甘酸っぱいものでも期待したかもしれない。

『わかってねーな』

予想外の返答は思わず口をついて出たというふうな言い澱んだもので、朝也は「一服してくる」と先に階段を降りていった。その口許が薄らと笑っていたから、俺の鈍さを責めたというより鈍くて良かったと思ったか、あるいは考える時間をくれたのだろう。
つまり、さっきのキスには意味があった。
もしかすると、同情でも構わないと思っていた10年前のキスも同情ではなかったのかもしれない。そこまで考えて俺は今、トイレに駆け込み、泣き笑いのどうしようもない不細工を水で洗い流している。

「あのとき、朝也はもう俺を好きだった……?」

そんなはずはないと思う一方で、そうだと嬉しいって頭ばかり働いて……だとしたら、俺は朝也からの初めての好きの意思表示を10年間も気づかずにいたのかと、今更、ほんとうに今更気づいて胸を熱くした。それじゃ、さっきのキスは……、

「10年越しの……朝也からの、好き?」

顔が熱い。
顔が熱い……。
灼けつくように熱い。

擦ったって火照っていくばかりだし、冷たいはずの水道水も微温湯に感じる。

「朝也……」

すぐにも顔を見たくなって、数十メートルさえ離れていられなくて階段を駆けおりた俺は《廊下はお静かに》のポスターの前を足早に通り過ぎ、エントランスホールで俺を待っていた大きな背中に掴みかかった。勢いに驚いた初老のご婦人が何事?という顔をしてすれ違っていく。

「朝也、俺、わかったから!」
「何が」

ちゃんと、お前の気持ち受け取ったから!という言葉が口よりコンマ秒早く脳裏に弾けて、俺はこっ恥ずかしさに寸でのところで呑み込んだ。

「あー……、トイレの場所」
「……。へぇ」

何を言ったと頭を抱えるには遅い。
呆気にとられた朝也の顔がみるみる笑いたそうな顔になって、失態に鼻先を熱くした俺の顔が余程可笑しいのか、堪えきれないとばかり手で眼を覆い、笑い出した。
締まらないけれど、きっと、俺の言いたいことは伝わっている……。

「笑うな。今日のお前は優しいんだから、そのままでいろ」
「優しい……俺が?」
「うん。プレーンドーナツがハニーグレイズドになるぐらいには甘やかされた気がする」
「よくわかんねーけど」

歩き出した朝也のうしろをニヤニヤとついて行く。
ミルクティー色を深めた館内は一層、穏やかに寛いだ空気が漂っていて、帰ると思った朝也はフロアを横切り、仄暗い通路を奥へ入っていこうとする。

「改装したばかりだってな」

何が?と聞くまでもなく、廊下の途中に置かれたチョークボードに俺は高揚した。
『復刻檸檬ケーキ(セット可)』
この図書館の喫茶室の人気メニューだ。余所にはない素朴な味を好んで、学生時代に俺が読書以上に楽しみにしていたことを朝也は憶えていたらしい。帰国して3度目の来館になるけど、閉店したのだと思っていた。ほんとうに朝也の記憶力の良さは他愛なく俺をゴキゲンにする。

「食ってくだろ?」
「トーゼン!」

やわらかな照明の下で朝也の笑みがとても幸せそうに見えたから、今日はいい一日だったと、俺は差し出された手を強く握り返した。


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新緑の候、皆さま、如何お過ごしですか?
Attic.は6月2日でOpen3周年を迎えます。応援してくださる皆さま、いつも有難うございます。
どうぞ、これからも宜しくお付き合いくださいませ<(_ _)>♡
6月といえば、そろそろ、ストロベリームーンが見られますね。
欧州では「ローズムーン」と言うそうですが、今年は6日の土曜日、最も高い位置にくるのは深夜1時頃だそうですよ。日本は梅雨入り間近だけど、どうか晴れて欲しいですね。


さて、本日は短編『THE KISS.』の更新をお知らせします。
たかみんが別館Attic.+で公開している「書棚だらけの壁紙」という自作の建築物があるんですけど、それに着想を得て、図書館を舞台に朝也と俊平の休日を書いてみました。
図書館いいですよね♡今、住んでいる町は図書館までが遠くて、すっかり足が遠のいてしまったけれど、読書に行くというより雑学を拾いに行く場所、それも知ってて得になるかも判らないような海外のユーモア集や伝説、忍者の道具一覧みたいなね💧時間を見つけてはテーブル席の隅っこを陣取って、手あたり次第、メモったものです。いや、本当に何に生かすでもなく忘れましたけど、午後の図書館(&学校の図書室)で過ごす、まったりとした時間が好きでした。
画家クリムトの『ユディトI』は魅入られるというか滾るというか、私もまだ本物を見たことがないのだけど、変なスイッチの入る絵です(;^ω^)もう一点『THE KISS』は邦題『接吻』として人気の高い絵ですよね。男女の佇むお花畑が崖っ縁というのが不穏だけど、美しい絵だと思います。この二点の絵画をめぐる、俊平と朝也の高校生時代から今に至る物語……。日頃、無音で執筆する宙水が偶然見つけたロマンチック・リラクシングピアノ曲を聴きながら書きました。多分に感傷的でノスタルジックな雰囲気になったのは、若干、曲に引っ張られたかしら?(* ´艸`)ぜひ、お楽しみ戴けたら幸いです♡


そして、今回のたかみんの画像は、朝也ですね♡
この押し出しの良い体躯で人待ち顔に立たれたら、いつまでも待たせて壁の蔭からずっと眺めていたいものです(〃艸〃)それにしてもこの図書館、本当に有ったら入り浸ってしまいそうに心地よさげだと思いません?階段をみしみし言わせて昇ってみたい……。

さぁ、Attic.4年目に突入。
『Attic.』&『Attic.+』では皆さまからのご意見ご感想、登場人物へのファンレターなど、心よりお待ちしております。皆さまからのエールが私たちの創作の糧✨
お気軽に拍手ボタンをポチッて戴いて、ぜひ、一言でも足跡残していってくださいねヾ(*´∀`*)ノ
これからも、どうぞ宜しくお願いします♡

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