俺は暫く虎を視界から消し、庭木の隙間から表の通りへ視線を移した。
 日が傾きかけているのだろう。さっきよりも手暗がりになって、木々を縫うようにテーブルへ届く陽光が柔らいでいく。その移ろいと共に俺のモヤモヤした気分も少しずつ落ち着いてきた。それに、ケーキの甘すぎない優しい味が尖った心を宥めてくれる。
 黙ってはいたものの、ずっと視界の端に虎の視線を感じていた。ケーキを口へ運びながら、時折フォークを銜えっ放しで俺の様子を窺っている。まるで、親に叱られた子供が親の機嫌が戻るのを待っているような情けない顔つきで……。チラッと見遣ると、目と目が合って、

「俺、調子に乗ったか?」

 虎は、そうポツンと頼りなげに言った。いつもなら、喧嘩になれば譲らずに逆ギレするか部屋を飛び出す気の荒い男だが、根は素直なヤツだ。一旦、自分の非を認めると、ちゃんと反省の色を見せる。虎を凝視みつめてフッと笑み掛けると、思いもかけないことを言い出した。

「お前が悪いんだ。『誘う相手はごまんといただろうに』っての、傷ついたんだからな。ごまんといたって、しょーがねぇんだよ。誘いたいヤツは一人しかいねぇんだから」
「え?」
「だーかーらー!俺は艶夜と来たかったんだって。ウチの客が口々に此処の評判を吹き込んでくんの。そんなに旨い旨い言われたら、お前にも食わせたいじゃん?テイクアウトじゃ意味ねぇんだよ。この店、内装もセンスいいって聞いてて、それ込みのこの味なワケ。そういうのさ、一緒に……とか思うだろ?好きなヤツとさ」
「ぁ……」

 聞いている内に恥ずかしくなってきた。

「何か言えよ」
「こ、声が……大きい」
「そうじゃねぇだろ?ふっざけんなよ、こっちが……」

 虎、顔が真っ赤だ。
 男二人、向かい合わせで顔を赤らめ、テーブルには食べかけの、花畑のように華やかな誰もが焦がれる甘くて優しいケーキ。客観視するなと自分に言い聞かせればするほど、この状況を意識して何も言えなくなる。だけど、何だ?このキモチ……。凄く、凄く嬉しいなんて俺、ずっと、この言葉を待っていた……?

「ありがとう……で、良いか?」

 自分でもギョッとするほど上擦った声で、何だか妙な言い方をしてしまったが、

「良いか?って何だよ」

 虎はやっぱりそこを突いて、笑いたそうな顔をした。

「そう、だな。余分だった。俺は虎が女性を誘うと面倒なんて言うから、てっきり、手近な俺で間に合わせたんだと思って、そういうのちょっと……」
「うわ、それがマジだったら、俺、サイテーじゃん」
「うん。サイテーなヤツだと思って……ぁ、」

 言ってしまってから、自分の不十分な言い方の方が余程サイテーなんじゃないかと息を呑み、けれど虎は、一瞬ポカンと俺を見て笑い出した。

「どっちがサイテーだよ。あははは!俺、どんだけヒドイヤツなのよ?」
「だって……」
「ま、女が面倒ってのは半分、本音だけど。だってよ、考えてみ?女の前で、どんなツラしてケーキ食うんだよ。連れてけ連れてけで挙句に可愛いー♪とか言われて、男に可愛いもクソも有るか!」
「それ、経験談だったりする?」
「ち、ちげーよ!そうなりかねないって話をだな……」
「ふぅん、かわい♪」
「テメー、ぶっ殺す!」

 虎の背中向こうで俺たちの遣り取りを聞いていたんだろう。テーブルを片付けていたミミちゃんが俺に向かって、こっそり、ピースと笑み掛けてきて何だか照れた。どうせ、後でセイさんとのお喋りの恰好のネタにされるんだろうな……。出入口の方から「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」と、セイさんの魅惑の低音ボイスが聞こえる。その声に重低音のキャアアアが二重のハモりで色めき立って、見覚えのある女装家二人連れがBarタイム一番乗りで賑やかに案内されていくのが見えた。セイさんが気を利かせて、俺たちのいる席とは反対側の遠い席を用意してくれたらしい。ミミちゃんも弾かれたようにセイさんの元へ飛んでいく。まずい。もう、そんな時間か……。

「何だ、あれ?パティシエのオネーサンは、オカマウケも良いんだな」

 虎は呑気に笑っているが、俺は気が気でない。隠すことはないと思っても、思う傍から隠しておきたい気持ちがムクムクと湧き起こって来る。

「虎、そろそろ出よう。混み出しそうだ」
「何、急いでんだ?まだ、満席でもないのに」
「あっという間にそうなる」
「お前、変だぞ?誰か都合の悪い客でも見つけたか?」
「そんなんじゃない!判った。お前はゆっくりしていけ。俺は帰る」
「何で、そーなるよ?わかったわかった。常連の言うことじゃ仕方ないな」
「嫌味か?」
「別に。夜はBarになるのか、それもいいな。お前は今夜は飲まないんだろ?日を改めて、次は夜に来ようぜ」

 それには、俺は返答しなかった。来れるわけがない。
 虎を先に出して会計をしに行くと、さっきの女装家たちに遠くから手を振られて冷や汗をかいた。目立たないように御座なりの会釈をしてミミちゃんに明細書を渡すと、度々、女子大生のアルバイトと間違われる天使の微笑みで、

「さっき、お名刺とクーポン、戴いちゃいました」

 と、虎の名刺と彼が勤める美容室の割引券を見せられた。その横を擦り抜けながらセイさんまで、

「私もだ。中々フットワークの良いカレシだな。いや、仕事熱心と言うべきか?」

 なんて笑いを噛み殺している。あのバカ!いつの間に俺のテリトリーで、しかも、出来ればあまり関わって欲しくないこの店で営業なんかしやがって!

「すみません。ご迷惑をおかけして」
「迷惑なんて……。また来てください。お待ちしております」

 セイさんに折り目正しく頭を下げられると、どうにも恐縮する。ハイと頷いて虎の待つ表通りへ出た途端、息をついた。安らぎの場所で今日は随分と緊張した。

 


 虎はパチンコ屋の壁にもたれて空を仰いでいた。

「何を見ている?」
「んー?いい休日だったなと思ってさ」
「まだ今日は、えっーと、六時間くらい残ってるけど?」
「……☆ やべぇ、今のちょっとキた」
「は?」
「付き合い始めの女子高生みてー。なぁ、もう一回、今度はもっと可愛く言ってみろよ」
「やっぱ、お前サイテー」

 虎を放って歩き出すと、ケラケラ笑いながらも、そっちじゃないと俺の肩を抱き寄せる。そして普段、俺が使わない道を入って行こうとする。

「虎、家は向こうだろ?まだ、寄り道混むんだ。いいから、ついて来な」
「えらそーに。ただ、居酒屋の常連っていうだけじゃないか」
「そ、常連。だって、常連様のお達しには従うっつーのが『今日だけルール』だろ?」
「何だよ、それ?」

 さっき『Comme je suis』で俺が帰りを急がせたことを根に持っているのか、苦笑する。
 それにしても角を曲がって、また曲がって、わざわざ迷路に迷い込むような道ばかり選んで、虎は何を考えているのだろう?そんなことを思って虎の横顔を窺うと、

「あと六時間か……。何が出来るかな?」

 充実した休日のラストスパートに何をするか、本気で考えているようだ。こういう些細なことすら真剣に楽しんでしまうところが虎は良い。

「まずは旨い飯だな。ウチの実家から酒が届いてたろ?あれ、開けようぜ。腕を揮って相性のいい和食を食わせてやるからよ」
「いや、飲まない」
「あれ、やっぱり?」

 振り出しに戻った。虎は世間話の延長で俺をベッドに誘っているのも同然だ。酔うとキス魔に変貌して、やたらと積極的になるらしい俺の悪癖を期待して、すぐに酔わせたがる。和歌山の地酒には正直、心が揺れたが、そのテには乗らないと虎を睨みつけた。

「抱きてぇ」

 虎の熱っぽい囁きに心がグラグラする。

「ダメ」

 俺は今夜は飲まないんだ。

「えー」
「『え』じゃない」
「ケチ」

 ケチって、ガキかコイツは!
 夕間暮れの道を他愛もない遣り取りを交わしながら家路につく。気のせいでなく虎は人けのない道を探し探し、この遠回りの散歩を楽しんでいるようだ。
 今年の夏は長かった。アスファルトは未だ昼間の暑さを残していたが、頬を撫でる風は冷たく、秋の気配を思わせる。

「もう、秋だね」

 虎も同じことを思っていたのか、夏が好きなヤツだから、少し寂しそうだ。
 そっと虎の手に手を触れると、握り返してきたその掌は、みるみる体温を上昇させていく。コイツ、何を緊張してんだ?俺にまで伝染うつるじゃないか。
 いくつ曲がり角を折れたか、途中まで数えていて解らなくなった。次に、虎に引き込まれて入った路地は並んで歩くことも侭ならない狭さで、とうとう誰も居ない。

「……していい?」

 何を?と訊く間もなく、死角になりそうな電柱の陰へ追い込まれた。
 逃げ場を作らせない鮮やかさで俺を片腕に抱きとめた虎が、確かめるような触れるだけのキスから噛み付くように激しいキスへ転じる。男同士とか路上キスだとか、そんな背徳感すらブッ飛んでしまうほど虎のキスは蠱惑的で、酒に狂わされる以上に俺を陶然とさせた。足元の覚束ないのを笑われた気がする。その眼は獲物を仕留めた獣のようにギラギラと精力に溢れていて魅力的だ。

「今夜、お前を抱く」
「今夜も、だ。いいよ。抱けよ」

 蒼の時間が俺の本性を暴き出す。
 身体の疼きを鎮めようもなく虎の肩に手を触れると、俺は少し伸び上がるように、今度は自分から唇を重ねた。調子のいい虎が笑って言う。

「じゃ、近道で帰るか」

 と……。


Bookmark

「何、お前、この店、来たことあんの?」
「あ、いや……まぁ」

 虎の声が普段より、ずっと低い。これはもう……頷くしかない。

「へぇ?俺、何度も誘ったよな?誰かを誘ってフラれた俺の敗率、お前が一人で上げてくれてんだけど、どういうワケ?面白くねぇわ」

 面白くないのは俺の方だ。何だよ、女は面倒で?一人では入りにくいから手近なところで俺を誘ったって?ハッ、嘘でもいいから俺と来たかったって言えよ。……いや、言うわけないか。そういう御機嫌取りみたいなの、わざわざ男にするようなヤツじゃないもんな。
 ミミちゃんが困った顔をしている。何か声をかけてあげなくちゃ……。

「えっと、注文していいですか?俺はミルフィーユとダージリン。虎、お前は?」
「あぁ……。じゃ、季節のフルーツタルトとブレンドコーヒー」
「相変わらず、期間限定に弱いな、虎は」
「うるせーよ」

 ミミちゃんは笑いたいのを堪えるように奥歯を噛み締めているのだろう、僅かに口角を上げてペコッと頭を下げると、まだ何か用事が有りそうなソワソワした表情で俺を見、去って行った。そして一度振り返って、また背を向けた。……何だ?

「ちょっと、待ってて」

 と、言いおいて席を立つと、虎は「は?」と不機嫌丸出しの声を上げたが、構わず俺はカウンターの向こう側にいたセイさんにミミちゃんを呼んで貰うよう頼んだ。すると、セイさんはニヤリと意味深に笑う。

「カレシ?いい身体してるよね」
「やめて下さいよ。こんなはずじゃなかったんだけど、アイツが……」
「隠しておきたかったんだ?」
「……すみません」
「どうして謝る?ま、折角来たのだし、ゆっくりしてってよ」
「えっーと、日暮れまでには……」
「あははは」

 日が暮れると知り合いに会う確率が高くなる。冗談じゃない、さっさと店を出なくちゃ。
 そんな俺の心中はセイさんには隠しようが無く、笑われてしまった。

「さっきミミがね、キミの泡食った顔を初めて見たって。私も見たかったな」
「面白がらないでくださいよ」
「あははは、ごめんごめん。あぁ、ミミが来た」

 散々揶揄われて、顔を熱くしていたところへミミちゃんが奥から出てきた。

「お待たせしました、何ですか?」
「いや、それ、こっちの台詞なんですけど。さっき、何か言いたそうでしたよね?」
「あ、いえ。お友達以上の関係かなぁ?と思って……。す、すみませんっ」

 ガクッときた。そうか。単なる好奇心だったのか。

「えっーと、たぶん、そうなんだと思います」
「たぶん?」

 どういう意味?という顔をしたミミちゃんをセイさんが咳払い一つで制した。

「無粋だねぇ、ミミ。ほら、仕事に戻って」
「はい!」

 ミミちゃんは学生時代からセイさんに憧れていて、ずっと追い続けてきたと聞いたことが有る。
 初めから両想いだったのか、それともミミちゃんの粘り勝ちだったのか、それこそ無粋と言うものかと自嘲気味の薄笑いが零れた。

「あ、艶夜さん。これ、お借りしていた本、凄く面白かったです。お返しするのが遅くなってごめんなさい。有難うございました」

 ミミちゃんから受け取ったのは、俺が貸していた推理小説。前に、この店で読み耽っていたところをミミちゃんが興味を抱いて貸してあげた。

「面白かったなら良かったです」
「良かったら、また夜にみえた時に感想を語り合いませんか?」
「いいですね、是非」

 女性と話すのは不得手だが、この二人とは長年の付き合いで多少、気心が知れている。良識のある大人という点でも、俺の中で女性に対して億劫に思う度合が他の女性たちとは違うみたいだ。ミミちゃんは、次は自分のお薦めの本を紹介させてほしいと微笑んで、俺に少し顔を寄せると小声で言った。

「あの……さっきは余計な挨拶をしてしまったみたいで、ごめんなさい。カレシさん、大丈夫ですか?怒ってたみたい……」
「気にしないでください。アレは、ああいう顔なので。ただ『カレシさん』は……」
「あ、はい!気をつけます。ごめんなさいね。それじゃ……」

 ミミちゃんは頬を紅潮させてパタパタと厨房の奥へ入って行った。
 可愛いな、やっぱり。俺が女で、あんなふうに素直で可愛かったら、虎は『お前と来たくて誘ったんだ』と、言ってくれるのだろうか?また、そんなことを考えて、俺はバカかと内心、毒づいた。席に戻ると、テーブルに片肘ついて不足そうに俺を見上げる虎と視線がぶつかった。

「仲良さそうじゃん。あれ、何?」
「何って?知り合いに挨拶をしただけだよ」
「ちっ、開き直りやがって。何で隠してたんだよ?」
「まだ、言ってるの?別に言いそびれていただけだし、しつこいと帰るよ」

 虎は未だ子供みたいに拗ねている。




 ケーキを運んできてくれたのはセイさんだった。
 厨房に余裕が出来ると、彼女もフロアに出て来ることがある。カップルで訪れた男性客よりも女性客の眼が一斉に輝く光景は見ていて何だか複雑だ。立ち居振る舞いの品の良さ、手際の良い仕事ぶり、軽妙洒脱な話術、何一つ取っても完璧で「お待たせしました」と言う声は女性にしては低く落ち着いた印象だが、優雅で媚びたところがなく凛としている。この声がミミちゃんを呼ぶ時だけ、蕩けるように甘美に響くのを俺は何度か聞いたことがあった。

「うっ……わ」

 目の前に出された皿を見て、虎が声にならない声を上げる。心なしか緊張して行儀よく手を前に揃え、身を固くしたまま前傾姿勢でいるのが可笑しい。笑いたくなるのを喉奥で堪えると、物凄い眼で睨まれた。何だコイツ、可愛いじゃないか。
 セイさんはケーキの紹介をしながら手際よくテーブルを花畑に変えていく。その間にもちゃっかり、虎の容姿や性格を見抜いて行こうとするんだから抜け目がない。

「旨そうだね」

 虎に話しかけながらチラッとセイさんを見ると、おどけた調子で明後日の方向を見て誤魔化した。本当に、この人はもう……。

「では、ごゆっくり」

 会釈して去るほんの一瞬に彼女が俺に微笑み掛けた気がした。
 ケーキにはアイスクリームと果実が添えられていて、キャラメルソースで飾り付けがされている。アプリコットの甘い香りが虎の方から漂ってきて、彼は皿に見蕩れていた割には迷うことなく、サクッとフォークをケーキの真ん中に突き刺した。

「すげぇな、女が群れるの分かる気がする。これはトキめくわ」

 通路を挟んで向こう側の席に座っていた女性二人が同時にこちらを見て、何事が笑いさざめいている。虎はケーキにトキめいているのだが、セイさんにトキめく女性客の多いこの店では誤解を招きそうで慌てて取り繕った。

「男がケーキにトキめくもないだろ?確かに女性パティシエの繊細さを感じるけどね」
「旨!やべぇ、ハマる……」

 俺としては、あまりハマって欲しくないんだけど……。虎は女性たちの視線に全く気付いていない。そもそも気付いたところで、何とも思わないような男だ。

「なぁ、さっきの背の高いオネーサンがパティシエ?俺に興味あんのかな?結構、見られてた」

 は?隣の視線に気付かないのに、セイさんの頭上からのチェックには気付いてたって?

「お前、自意識過剰なんじゃないの?」
「んなこたねーって。頭のテッペンから足の先までチェックしてったし。俺、そーゆーの判んの。ま、年上オッケーだし、こんな旨いケーキ作れる人なら悪くねーなって思うけど」
「……」
「それとも、あれかなぁ?案外、お前に気が有って恋敵を吟味して行ったとか?」
「その発想は無いだろ。どうして、彼女が虎を見て恋敵と思うんだよ?」

 言ってすぐに後悔した。虎の勘違いも甚だしいが、必死に取り繕うとしている自分が酷く滑稽だ。下手なことは言わずに聞き流せば良かった。

「どうしてって俺が、お前に食らった疎外感を隠していないから。で、あーゆー長身のクールビューティーは案外、中身が乙女だったりするから。パリッと男風情でキメていたって内心じゃフリフリの可愛い服とか憧れているワケ。だから、いかにもバカぶってる俺みたいなのより、お前みたいな物静かで知的なタイプを好むんだよ」

 疎外感?それって嫉妬したと言いたいのだろうか……?
 それよりも微妙に当たっているのが怖い。セイさんは颯爽とまるで紳士のように振舞いながら、実は花を好み、可愛い雑貨に喜び、ミミちゃんと雑誌を見ながらキャーキャーと楽しげにガールズトークをしているようなところがある。そんな女性的な彼女だからこそ、この繊細なスイーツであり、行き届いた客へのもてなしなのだと俺は思っている。

「ふぅん?虎のバカは『ぶって』ただけなのか、へぇ……」

 どうでも良いことのように受け流すと、虎はチッと舌を打って、こう言った。

「お前は、どうなんだよ?ターゲットはどっち?オネーサンとも親しげだったし、あのフワフワロングヘアのカワイコちゃんとも、いい感じだったしさ」

 それ、本気で言ってるのか?無神経にも程がある。俺はコイツの何だ?コイツは俺の何なんだ?また、同じ問答を繰り返す。

「そんなふうに考えたことはない。店員と客、それだけだ。ミミさんには貸した本を返して貰っただけ。彼女の方が年上だ。言葉に気を付けろ」
「げ。あのフワフワ、年上?ミミさんとか呼んじゃうんだ。随分、親しいんだな」
「怒るぞ」
「もう、怒ってんじゃん。折角、旨いもん食ってんだからさ、もっと楽しそうに食えよ」

 誰が、こんな顔にさせるんだ!


Bookmark

 繁華街の喧噪を逃れた先に高級料理店の並ぶエリアがある。
 その勿体ぶったエントランスをいくつか数えて裏通りへ折れると、雰囲気は一変、リーズナブルな歓楽街と言おうか、小さな定食屋やビジネスホテル、海外からの観光客に利用の多い宿泊施設などが密集する。古くは同性愛者の集まる町で、ゲイバーなども多かったらしい。人目を忍んだセクシュアルマイノリティーたちが、ごくありふれた雑踏にコミュニティーを築き、息づいてきたのだろうと誰かが言っていた。赤青白の三色の縞模様がクルクル回るサインポールが、今も残るシックな理髪店。少し先にはポッカリと緑に囲まれた神社や寺があって、俺、四室艶夜は時折、砂利を踏みしめ静かな境内を歩く。そんな空気に馴染んで、もう七年になる。
 その一角に隠れ家のように通い続けるカフェ&バー『Comme je suisコム・ジュ・スイ』があり、時折、一人で寛ぐ時間を大切にしてきた。店名は『自分らしく』という意味らしい。最寄り駅からは遠いし、そう便利な立地とも思えないけれど人気がある。昼はバランスの良い美味しいランチで会社員や専門学校生らが集い、ティータイムには評判のスイーツを求めて遠方からも客足が絶えることはない。店内は木目の美しい床に温もりのある北欧家具のテーブルと椅子が絶妙な間隔で配置されている。甘すぎない色調のクロスや小さな硝子の小瓶に差した草花、シンプルで使い勝手の良い食器、ソファ席の傍にはブックシェルフがあり、置かれている本や雑誌までもが趣味の良さを感じさせる。男装の麗人と噂されるパティシエ兼バーテンダーの店長セイさんと、フロア担当のミミちゃんの愛らしくて気持ちのいい接客が更なる評判を得て、客は増える一方だ。そして、夜ともなれば店は表情を変え、一般客に交じってゲイや女装家など様々な性癖を持つ人々が集うコミュニティーの場となり、実のところセイさんとミミちゃんが、いわゆる、そういう関係であることも俺は知っている。
 何故って?……まぁ、そういうコトだよ。



「艶夜、ちょっと寄り道して行かね?」

 バイク部品などを扱う店の紙袋を提げた虎が、窺い口調の割には既に決定事項のように大通りを斜めに横断していく。珍しく休日が重なって昼まで虎の狭いベッドでダラダラし、遅めの昼食をと繁華街に出て来た。出て来たなんて大層な話でもない。俺たちの住む家は、ここから徒歩圏内の小さな町にひっそり建っている。ハンドメイド雑貨の店や古着屋、ギャラリーやカフェ、知る人ぞ知るフレンチの店などがあって近頃、人気のエリアだ。方々に伸びる細い路地を入っていくと、そこだけポツンと切り取られたような小さな公園や古い民家があって味のある町だ。高校を卒業して美容師の専門学校へ進んだ虎が先に就職し、数年後、どういう経緯か年代物の一軒家を手に入れ、古いアパートを引っ越した。そこへ大学を卒業したあと俺も暮らすようになって、もう五年になる。

「虎。寄り道って、そっちは飲み屋街だろ。俺は今日は飲まないよ」
「やらしーなぁ、誘い文句のパラドックスか?お前、酒が入るとチョロイもんな。飲まないと言えば俺が余計、飲みたがると思って言ってんだろ。ホントは今夜もオレを御所望だったりする?」

 カッと熱くなって饒舌な虎の尻を叩いた。
 いやらしいのは、どっちだ!酔うと大胆になるらしい俺の酒癖を揶揄からかって、虎は『今夜も抱かれたいのか?』と笑ったんだ。

「そういう意味じゃない。まだ、四時過ぎだし、飲む気分じゃないと言ったんだ」

 そうは言ったが本心は少し違って、俺は確かに今夜を懸念して守りに入ったのだ。
 すると虎は、まるで俺の本心を見透かすように笑ってこう言った。

「わかってるって。ゆうべは朝までヤりまくったし、俺ももうムリ。そうじゃなくてさ、この先の店、ウチの山崎いわくこの時間が穴なんだって」
「穴?」
「お前が言うと何か卑猥だな」

 迷わず二度目の尻叩きを食らわせた。
 山崎さんは虎の勤めるヘアサロンの後輩スタイリストだ。職業柄か性格か流行りものに敏く、新しいもの好きの虎とは気が合うらしい。虎も情報通で、新聞はもちろん女性誌や情報誌にも広く目を通すし、常にアンテナを張っている。

「艶夜、そこを左。何度か前を通っているけど、いつもスゲェ列を作ってて……お?」

 急に速足になった虎を追って角を曲がり大通りへ出ると、見覚えのある店が見えた。
 『Comme je suis』だ。しまった。こんなルートが有るなんて知らなかった。バイク乗りの虎は方向感覚が優れていて、裏道にも精通しているんだ。

「今なら、窓際の席を御用意できますよ」

 と、客を案内をしていた店員に声を掛けられ、引き返せない雰囲気になってしまった。ミミちゃんだ……。俺に気付くと「あ!」と花が開くような笑顔で会釈をしてくれたけれど、俺は思わず伏目になった。虎は、それには気付かなかったようだ。この、人目も何も気にしない無頓着な男が珍しく店内を覗きながら、

「やっぱ、男の客って少ねぇの?出来れば窓際じゃない方が良いんだけど」

 なんて、ミミちゃんに尋いている。俺はそれを聞いて咄嗟に、

「いや、窓側で!」

 と、早口に伝えていた。奥へ入れられる方が周りを女性に囲まれてゾッとする。痛い眼に晒されながら、男ふたり顔を突き合わせてケーキもないだろう?ミミちゃんは、そんな俺の内心など御見通しとばかり上目遣いでクスッと笑った。
 席に案内されて虎は納得したらしい。窓側の席は庭木が死角になって、外から見られることが無いのを俺は知っていた。虎は特に変に思うでもなく、

「お前、よく見てるよな」

 なんて、テーブルにつくなりメニューを広げている。

「この店、入ってみたかったんだ。ウチの客にもファンが多くて、特にパティシエの手作りケーキが旨くてリピーター続出らしいぜ。やっぱ、流行りは押さえときたいし?」

 それ、前にも聞いたよと内心、呟く。
 虎が前々から来たがっていたのは知っていた。知っていたも何も何度も誘われて、そのたびにはぐらかしてきたんだ。虎とは恋人関係?……なのだと思う。けれど俺は自分がゲイだと未だカミングアウトできないでいるし、隠しておきたかったんだ、ここの常連だってこと……。

「そんなに来たかったなら、誘う相手はごまんといただろうに……」

 ウッカリ声に出してしまった俺に、虎はメニューを寄越しながら苦笑わらった。

「面倒だろ?」
「何が?」
「女、誘うと、私も私もってなるのメンドーだろ?」

 ふぅん?恋人としては何て失格な答えなんだ。俺はコイツの何だ?
 そんなことを思って、思った自分に嫌気がさした。誘おうと思えば幾らでも相手はいる。わざわざ男の俺とツルまなくてもノンケの虎は女の子とフツーにデートを楽しめるはずなんだ。現に俺と喧嘩にでもなれば、不貞腐れて平気で女性の元へ慰めて貰いに行くようなヤツだ。大体、聞いたか今のデリカシーの欠片もない言葉。俺を好きだ好きだと抱くくせに、引く手あまたのモテっぷりが面倒だと?世の男の敵、ゲイの敵だな、お前は……。
 そんな頭の中のモヤモヤを一気に丸めて鉛玉のように俺の胸深くへ沈めたのは、水の入ったグラスを運んできたミミちゃんの一言だった。

「お昼間にみえるの珍しいですね。今日はお友達と御一緒ですか?」

 声も出ない俺を虎が訝し気に見ている。
 背中向こうから近づいてくるミミちゃんの気配に、まるで気付かなかった。


Bookmark

大変お恥ずかしいことに……今年まだ、二回目の雑記です。ごめんなさい<(_ _)>
「今年はアグレッシブに執筆したい」とか言っていたのに、新調した眼鏡が合わないまま、一年の四分の三を大した執筆もできずに費やしてしまいました。数行のPC入力ですら焦点が合わず、すぐに眼精疲労で続かなくなってしまいます。
そんな中、140字SS名刺集のみ、毎週のように更新してきました。掌編より更に短い物語を集めたもので、新旧作ございますが、メニューバーの『OTHER WORKS』→『SS名刺集』の順で、ご覧いただけます。毎度の更新のお知らせ等はしておりませんが、ふらりと、お立ち寄り戴けたら、嬉しいです。


さて、本日は短編『at Comme je suis』の更新をお知らせします。
昔に比べると甘党男子が増えたと言っても、可愛いカフェで男ふたりのシチュエーションは、まだ中々見ないもの。うちのキャラなら、どんな感じだろう?なんて、たかみんと雑談していて生まれた、虎と艶夜の物語です。タイトルはサイトの機能上すべて大文字になっていますが、私の感覚では控えめに小文字のイメージで、作品の舞台になるカフェの名前です。そこのスタッフのセイさん、ミミちゃんコンビは、たかみんが設定やビジュアル等、創ってくれたんですよ。夏の終わりの物語でかなり出遅れ感はありますが、今日から毎週末の更新予定、全三話を是非、お楽しみください。
一方、長編『Cry for the moon.』は完結させないのか?というお声も戴き……、すっかり、更新を止めてしまっている心苦しさはあるのですが、作品への思い入れが強すぎるのか、私の文章力の衰えか、現段階で納得し得るものを書けておりません。それでも、毎日のように誰かしら読んでくださる方がいて、本当に感謝しております。こちらは、もう少し足掻かせてください……。


一雨ごとに急速に秋が訪れましたが、今年の夏は長かったですね。皆さん、楽しまれましたか?
私は旅行もレジャーも自粛しているぶん、ウナギを何度か食べました🍀(スーパーのだけど贅沢だわぁ……😋)それと、美術館にフェルメールを観に行きました。初期の傑作『窓辺で手紙を読む女』の修復をしたら、何もないと思われていた壁に実はフェルメールが天使を描いていたことが発見されたんです。その、所蔵館以外で世界初公開の天使を見てきました。これはちょっと興奮しましたよ。画家の俊平なら、どう見るのか?感じるのか?と思いながら、じっくり観て参りました。


今回のたかみんからの画像↑はハロウィーン🎃
定期的に変えているサイトのTOPにも俊平と朝也の小さな物語を添えてみたのですが、ハロウィーン✨このオレンジ色にはテンションの上がる宙水です。
それでは、これからも当サイトAttic.を宜しくお願いします。
現在、いいねボタンの♡は各作品の下方にございますが、コメント欄はありません。ご感想、ご質問等ございましたら、Twitterにて是非、宙水にお声がけくださいね。


Bookmark

新しい年が始まりましたね。
「一年の計は元旦に有り」と言うけれど、年末に腰を痛めて壁伝いに歩いた宙水は大晦日の夜、恒例の紅白歌合戦~除夜の鐘ゴォーンを聴いて就寝。何と!怖い夢に魘されたのを主人に起こされ……これって、初夢になっちゃいます?(ショック!)
初日の出も見逃し、すっかり日が昇ってから富士山中継の録画で見ました💧
こんなパッとしない新年を迎えた宙水ですが、当サイトのほうはパッと花咲かせたいと思うので、たかみん共々、今年もAttic.&Attic.+を宜しくお願い申し上げます。

さて、実は水面下で企画倒れを連発していた宙水ですが……(Xmasも冬の湯けむり企画も間に合わず💦)140字SS名刺集のみ毎週更新しております。掌編小説より短い140~300字程度の物語を集めたものですが、特には更新のお知らせをしておりません。お手隙の際にでも、ふと思い出してお立ち寄り戴ければ幸いです。どうぞ、メニューより『OTHER WORKS』→『SS名刺集』の順で、お楽しみください🎶

今年はアグレッシブに執筆したいですねぇ……🖊
「Cry for the moon.」の更新がすっかり止まって心苦しいのに、今も読んでくださる方々がいて……(ありがとうございます♡)いえ、片時も忘れたことはないし、度々、俊平たちのことを考えているんですけどね?長く書き物を続けてきた間に、歳とともに自作に厳しくなる自分がいて、なのに頭は老朽化してww脳をポクポクやっている次第です。
先日は大阪で開催のメトロポリタン美術館展に出かけ、もとより絵画を見るのは好きなのですが、ニューヨーク仕込みの新進画家である「Cry for the moon.」の主人公、俊平も、きっとこの珠玉の名画たちに心躍らせたはず♪と、密かに舞い上がっていました。宙水はモネ目当てだったのですが、フェルメール、カラヴァッジョ、ルノワール、ゴッホにゴーギャン、名だたる画家の作品が次々と並び、約7割が日本初公開だそうです。中でも宙水が惹かれたのはギュスターヴ・クールベの「水浴する若い女性」と、やはり、モネの「睡蓮」……しばらく離れられない色彩の妙、最後の最後にもう一度、引き返して目に焼きつけてから、美術館を出たくらい素敵でした。
東京方面にお住いの方は、これからの開催ですね。……って、あらら、脱線しちゃった💦

えっと、結びましょうね……💦
あと半年ほどで今年、Attic.は5周年を迎えます。
たかみんと一緒に俊平たち4人の世界を楽しみつつ、宙水はもっと自分を信じる執筆を伸びやかにやっていきたい……それが、私の今年の抱負です。
頑張りますよ👍

Bookmark