Ding dong , Ding dongと呟いて、夜天に白い息を吐く。
今日はクリスマスイブ。
俺はベランダの手摺りに寄り掛かり、耐熱グラスに注いだモルドワインで温まっている。
赤ワインにシナモン、クローブ、スターアニスのスパイスとオレンジを加えたものが一般的だけど、微量のブランデーを足すのが俺のお気に入りだ。
朝也なら帰宅しているよ。
スーツの肩に雪を溶かして、急いで帰ってくれたのだろう、顔が上気していた。
抱きしめてキスをくれても囁かれた言葉は愛してるではなく「すまん」で、何が『すまん』なのかは、すぐに解ったよ。呑気にディナーもないほど沢山の仕事を持ち帰って、今も部屋に籠りきりだ。
俺は物分かりの良い恋人だから、ただ微笑って「おつかれさま」を言っただけ……本当だよ。

 

今夜は月もない。
パリンと割れてしまいそうな寒波に逃げ出したんだ……なんてね、新月が近いだけさ。
眼前に広がる住宅街は赤や青の電飾に華やいで、中でもシャンパンゴールドに輝く一軒家は群を抜いていた。凍空も白々する中に星を一つ見つけたのを朝也に教えてあげたかったけれど、そろそろ首が攣りそうだし、ワインも温くなったから部屋に戻ろうと思う。
薄暗がりのリビングにチッカチッカと点滅しているクリスマスツリー。赤を誇れないポインセチアはひっそりと息を潜め、開け放した中扉を冷たい風が抜けていく。廊下の奥にポツンと漏れる部屋灯り、間断ない紙擦れと腱鞘炎でも起こしそうなキーボードの入力音が、もう二時間近く続いていた。
「俊平、……俊平」
俺を呼び寄せるとは無精者め。
待ってましたとばかり扉を開ける手がウキウキしている。
「何?」
「悪ぃが珈琲、頼む」
「仕事の手を三秒止めるなら淹れてやってもいいよ」
広い背に圧し掛かってギュッーと抱きしめた。
「冷た、お前、またベランダにいたのか」
「雪は止んだよ。珈琲……淹れてくるね」
Merry Christmas.もない唇を指でなぞり、埋めた首筋に恨みがましく噛み痕を残す。
「くすぐってぇよ、何?」
「眠気覚まし。散らかり放題は能率悪いんじゃない?」
デスク上の製図や資料が黒の硝子天板を覆い、山積みのファイルや書籍は雪崩寸前だ。
その中で埋もれるようにノートパソコンを開いている朝也は「確かに」と短く言って、手近な所から片付け始めた。部屋を出て後悔。
半端に体温なんて分けて貰うんじゃなかった……。

 

ピンポーンとインターホンが鳴って「お届けものです」と言うので、解錠した。
品物はケーキで差出人は朝也だ。
声を掛けようとして、受取人が俺になっていたからリビングで包みを解く。
「これ……。朝也に話したっけ?」
たしか、博物館の茶房で隣席の女性が話題にしていたチーズケーキだ。
和歌山の小さな工房で受注生産していて、取り寄せに何ヶ月も掛かるという。気にはなっていたけど、肝心の店名をうろ憶えでそれきりになっていた。すぐにも食べたくてウズウズする。早く珈琲を淹れようとした矢先、また、ピンポーンと来訪があった。
「環俊平さんでお間違いないですか?こちらに受取りのサインをお願いします」
百貨店の包装紙に包まれた箱、差出人は朝也。
沸々と笑いが込み上げて、すぐにも朝也の顔を見たくなった。書斎の扉をノックなしに開け、背後から羽交い絞めに抱きつく。
「お前ね、この状況を面白がるために缶詰していたとか言う?」
どうせXmasなんて失念しているのだと思っていた。ケーキの相談もディナーの予約も聞いていないし、ツリーを飾った時も「もう、師走か」としか言わなかったから。
「この状況を見て、それを言うか?」
と、途方に暮れた様子の朝也の肩はバリバリに凝っていて、
「有り合わせでいいか?少し飲むか」
俺の手に手を重ねると薄らと笑った。疲れを滲ませた声は耳馴染みがいい。
合鴨のスモークと生ハムやチーズのピンチョス、ローストビーフ、温め直した若鶏の唐揚げ、サーモンのカルパッチョをサラダ仕立てにと朝也の手際の良さにはいつも感心する。俺が選んだシャンパンと、早速、ケーキも切り分けて、ソファで肩を並べ乾杯をした。

「「Merry Christmas.」」

朝也からのギフトはザックリとした編み目が柔らかな甘いローズグレイのニット。間違いなく俺に似合う色だし、緩やかなVのネックラインも好きなんだけど……、
「俺たち、仲が良すぎるね」
「持っていたか?」
「ううん、重なっちゃった」
俺から朝也へのギフトは同じ店の同じニットの同じ色。
「たまには、こういう色も似合うと思ったのに」
「欲しくて見ていたんじゃなかったのか」
「俺って愛されてるね」
道化た笑みはシャンパンの温もりに塞がれて、朝也の胸に視界を遮られた。
冬物が店頭に出だした頃、二度三度、足を止めたかもしれない。ほんの数分だったはずだけど、朝也がそんな些細な瞬間も気に留めてくれていたことが嬉しかった。
「ねぇ、明日、これを着て外で待ち合せしようよ」
「お揃い……いや、残業だ残業」
「じゃ、今、着よう。それで……脱がしっこしよ」
朝也は呆れたように微笑って、外はまた雪が降り出した。

May you have a warm, joyful Christmas this year.

                            

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この前は30分も待たせて、寒かったよね?
キミの「遅刻だよ」を聞いたのは、たぶん3度目だけど、
どうしていつも「しょーがないなぁ」って許してしまうの?
一度ぐらい怒った顔を見てみたくて、わざと遠回りをしたって言ったら、
今度こそ可愛い膨れっ面を見せてくれる?

駅前のスタンド珈琲、結構、いけるよ?俺を待つ間、温まってよ。
階段下のベンチ、壁に鏡があるの知ってた?ルージュの色は俺好みにしてね。
頭ん中、俺で一杯になったら口を尖らせて。
待ちくたびれたキミの文句ごと抱きしめてあげる。

それじゃ週末、いつもの改札で。
この予行練習も、いよいよ総仕上げだ。
ワガママが下手で優しすぎるとこ心配だけど、
キミの恋が叶うことを祈っている。

                                                  俊平


退社狙いの待ち伏せも裏の裏をかかれて、やっぱり膨れたこのかばん
隣からもチョコレートの甘い香りがしている。
急ブレーキにも目を覚まさない彼女の重みを右腕に、
なぜか動かないでいてやりたいと、束の間、車窓に並んだ二人の親密げな他人を見る。

それにしても、随分と買ったもんだ。
彼女が抱える紙袋から、どれだけ配るんだという気遣いの包みが、
赤や黄色や溢れそうに詰まっている。
俺の鞄を角っこで突く窮屈そうなコレも、そうした気遣いの一つ一つなのだろう。
ひとりでいた頃には思いもしなかった。
この温かい感情は案外、悪くない……。

ふと、急ぎ足で帰りたくなった。
膨れた鞄を見るなり、アイツは口を尖らせて嫌味を言うだろうが、
優しく抱きしめたいなんて、俺も珍しく浮かれ調子じゃないか。

カーヴに揺れる人いきれ。次の駅で降りたいけれど、
そろそろ、起こしてもいいだろうか?

                                                     朝也            

週末、林檎を家まで届けてくれてサンキューな。
インフルエンザに罹ったのなんて初めてで、伝染うつしてないといいけど大丈夫だった?
鬼の霍乱とか笑ったくせに、林檎の下に隠したリカーボンボン、可愛いことするじゃん。
俺、年上オーケーだけど、その気になっちゃったらどーすんの?

バレンタインデーには店に復帰してるし、良かったら来ない?
昼イチか、15時なら予約に空きがあるから、お礼にヘアセットするよ。
「私なんて青果店のオバチャンだし」って、いつも笑うけど、そんなことねぇし、
俺に任せてくれたら、綺麗倍増しで引き出してやんよ。
林檎、めっちゃ旨かったからさ、
オッチャンのニヤけたツラでも見ついでに、また買いに行くわ。

手短でゴメン。
同居人のアイスノン、替えてやんねーと。
じゃあね。

                     虎

あの日のココアは甘ったるくて、
どうして真冬にアイスココアをくれるかな?って言葉を呑んだ。
だって、バレンタインデーだったんだ。
特別な意味なんて、きっと無かった。
「受験勉強おつかれさん」くらいの軽いエールに違いないと、そう思い込もうとした。
受け取った缶からスウッと消えた僅かな温もり、
「体温、高いんだね」
って、それが不器用な俺の精一杯の照れ隠しだった……。

「ただいま」と声がして、
マグカップのココアも吃驚ビックリするほど足を踏み鳴らしたキミが、一目散に甘えにくる。
抱きつかれた俺は、まるで大きなライオンを飼っているみたいだ。
飲む?って聞かなくても、キミの冷えきった唇はYesを伝えてくる。
淹れようか?って聞かなくても、ココアは俺が淹れるものと、いつの間にか決まっていた。
「寒いな」が「傍に来いよ」のシグナルだってことも、今の俺は解っている。
けれど、あの日のココアの意味だけが、9年経った今も解らない。

「ねぇ、どうしてココアだけは自分で淹れないの?」
何で今更そんなことを聞いたのか、
自嘲気味の溜息にココアパウダーがパッと飛び散った。
つまらなさそうな声が、ぽつりと言う。
「……積年の罰……」
え……?

                     艶夜

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「朝だぜ」
「……起こさなくていいのに……」
笑っちゃうぐらい嗄れた俺の声。

ベッドに沈むカラダは寝返りを打つのも億劫なほど怠いのに、軽すぎる空気が物足りない。
斜に差し込む朝の光が恨めしくて、朝也の笑みが眩しいから、また腕を絡めたくなるんだ。
「お前がまだ中にいるみたい……」
クスッと笑ったら、
「黙ろうか」とKissをされた。


ゆうべは千櫻で久しぶりに酔うまで飲んで、Xmas treeがチッカチッカしていて、朝也が俺のためにオーダーしたカクテルの名前は何だっけ?鮮やかな赤が綺麗で口当たりのいい……、
「……とても、強いカクテルだった」
「ん?」
「ん、じゃねぇよ。俺、どうやって帰ったかも憶えていない。初めからラストオーダーを決めていたね?」
「俺にも色々と都合があってな」
朝也の眼の奥に情欲の名残を見て愉悦の笑みが零れる。脱ぎ散らした服、性急に俺を抱いた手の冷たさ、『俊平』と呼ぶ朝也の蕩けるような甘い甘い声と、熱い吐息……。
「ねぇ、朝也……」
「んー……?」
腰を浮かせて、反転、見下ろしたヘーゼルの瞳は優しく俺を見上げて来る。
背骨を伝う指先の到達点をフライング気味に期待して、あんまり心地よくて背を反らす。
俺のカラダは朝也の指一つで、こんなにも快楽を欲するのに、この男の涼しい顔ったら……、
「俺、珈琲はブラックがいいんだけど、今はカプチーノが飲みたい。」

「ざっりざりのシュガーをスプーンで何度も何度も掻き混ぜてさ、たっぷり泡立った温かいフォームドミルクを溢れるほど注いで……、」
「待て。それ、淹れて来いって話じゃ……ねぇな?」
「どうだろう?」
流石に察しがいい。

「ねぇ……、おかわりはないの?」

ピンポーン……。突然、来客の合図がして、
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン……と立て続けに鳴るインターホンに顔をしかめた朝也が『退け』と俺の背をトントンする。

「出なくていーよ」
「よかねーよ」
「俺がいいと言っている」
朝也の腕を掴んで我儘を言うと、ほらね、朝也は『仕方ないな』って顔で折れてくれるんだ。
「朝也……俺、ミンスパイが食べたい……」
「ミンスパイ?イギリスが本場とかいう……?」
「そう。Xmasから12夜1つずつ食べると幸運に恵まれるんだよ。ミンスミートの仕込みは間に合わないから、ドライフルーツで」
「俺に作れと?」
「ダメ?」
朝也の大きな手が俺の髪を撫でる。その鎖骨の逞しさに指を触れ唇を落とすと、
「お前は、いつも突然だな」
と、優しい声が耳許で溶けて、ゾクリと甘い痺れが四肢を巡った。
「子供の頃を思い出したんだよ」
「……わかった」
作ろうと微笑う朝也のヘイゼルの瞳が『その代わり』と、ただ優しいばかりでない色をキラリとさせて俺を組み敷こうと掴みかかる。元より俺に異論はない。
ところが、その間もピンポーン、ピンポーンは喧しくて、
「このしつこさ……、虎さんだな」
朝也は呆れ顔で俺を押しのけた。
「そう思うから出なくていいって言ってるのに!」
「そう思うから出るんだ。あの人は後が面倒臭せぇんだよ」
ピンポーン、ピンポーン、ピッ……、
まるで、こちらの陰口を聞いていたようなタイミングでインターホンが鳴り止み、
「諦めたみたい」
呑気に笑うと、朝也は突然、ベッドを降りてしまった。
「何、慌ててんだよ?」
「来るぜ」
テキパキと床に投げ出した服を拾い集め、ベッドサイドの煙草の吸殻やゴムを片付けた朝也は、俺を落としそうな勢いでシーツを剥ぐ。
「ちょっ、Sexの後でベッドを追われるなんて初めてだよ!」
「冷やかしがなげぇの、お前だって解るだろ?」
「ぁ゛……」
そういう意味か。一瞬で目が覚めた。
どうやってオートロックをくぐり抜けるかなんて、誰かの後について入っちゃえばいいってことだろう。襲撃を食らえば、このテのことに直感の働く虎センパイは直ぐに俺たちの状況を察してニヤニヤ面白がるに決まっている。自分も遊び慣れている所為か昔からエッチなことに敏いんだ。
数分後、直接、遠慮のないノック音がして、
「ちゃんと着替えろよ、俊平」
朝也は、そう言いおいて玄関へ出て行った。
「お取込み中、悪いね、色男」
なんて、朝から馬鹿に上機嫌な先輩の大きな声が聞こえてくる。どっと疲れが出たところで、足を踏み鳴らして上がりこむ気配がして俺は慌てて着替えをした。
首元まで隠れる白のニットに黒のスキニー、髪の乱れを直して、ふと朝也は何を着て出たのだろうかと考える。たぶんソツのないヤツだから、あの短時間でも頭はフル回転で何事もなかったような澄ましたツラで出迎えたとは思うけれど……、
そんなことを思いながら不機嫌な顔に引きつり笑顔を刻んでリビングに出て行った。

「Hey!朝から空気読まないね……」
「おはよーさん。疲れた顔しちゃって」
「激しかったからね」
すかさず、キッチンから朝也の「俊平」という咎めるような呆れ声が飛んで来る。
虎センパイは部屋をぐるりと見まわし、俺がしつらえた飾りを手に取ったり、大きなツリーのオーナメントを見て回ったりしている。
「こういうのを恋人たちのXmasって言うんだろうな……」
「それを無遠慮に邪魔したのは誰だよ?」

「尖るなよ、お前が帰国するまで、この部屋、殺風景だったから変わるもんだと思ってさ」
「……、芸術家アーティストだからね」
「そういう意味じゃないんだが」
解っている。朝也が俺と些細なことでも『らしくない』ことを楽しんでくれる気持ちが俺は嬉しくて、だけど、先輩の言葉をマトモに食らうのは恥ずかしいから、顔の火照りを悟られたくなかった。
「俺って器用でしょ?」
「あ゛?……これ、俊平が作ったのか?」
「うん、全部じゃないけど。飾りつけは朝也と……、朝也ってさ、」
「俊平」
珈琲豆の良い香りがして、余計な事は言うなとばかり朝也が腕組みをして此方を睨んでいる。
朝也ってさ、最初は「子供か」って渋っていたくせに建築士の頭が完璧を求めるんだろうな……、図面まで引きかねないのめりようで黙々とクリスマスライトの角度や配線や、俺の造るオブシェの展開図を素材に引いてくれたんだ。腰を痛めるぐらい背を丸くして、俺が声をかけても気付かないほど夢中だったのは実は朝也の方だ。
『工作、得意だったんだ……』
あれは、自慢だったのか独り言だったのか、視線をピタリと定規から動かさずに小声に言った朝也は、とても楽しそうだった……。


「俊平」
朝也に呼ばれてカウンター越しにトレイを受け取ると、
「珈琲?カプチーノじゃないんだ……」
意味深に笑った俺に朝也は僅かに口許を緩める。
Vネックのケーブルニットが良く似合っていた。あの咄嗟の判断で濃いめのオリーブグリーンをチョイスしたのは素肌着の余裕の無さからだったにしろ、同じ男として矜持も飛ぶぐらい朝也の体格の良さを引き立てていて惚れ惚れする。顎で『持ってけ』とやられて、勧めもしないのにソファに掛けて寛いでいる虎センパイの元へ運んで行った。
「飲んだら帰ってよ?」
「随分な言い種だ」
先輩は笑いながら、俺ではなく朝也を見た。
「この連休中、艶夜と実家に戻っていたんだ。玄関に紙袋とクーラーボックスを置いてある。土産っつーか差し入れ?新鮮なうちにと思ってさ」
見なくても俺には朝也がいつになく嬉々として礼より先にキッチンを出ていくのが判る。
案の定、玄関先で「おおー」だの「すげぇ」だの声をあげ、
「虎さん、ありがとうございます」
と、珍しくはしゃいだ声が俺を笑わせた。

「今夜は御馳走になりそう。先輩、サンキュ」
「さみー、あのバカ、扉、開けっ放しで行ったよ」
尻で踏んでいたマフラーを首に巻いても、先輩に扉を閉めに行く気はないらしい。
「すぐに戻るよ。俺には丁度いい」
その長い足を横に床にペタリと座って、俺は珈琲を啜った。
「俊平って可愛いトコあるよな」
「何それ?」
「朝也が喜んでいるのが嬉しいんだろ?」
「ち、違うよ。普段は食べられないメニューでも作ってくれるのかなぁ?って……、もう、アンタのそーゆートコ、ムカつく……」
顔が熱くなるのを背けて、バァーカと悪態ついて、
「用事が済んだら、早く帰れって言っただろ?イヴなんだから、そこ判れよ!」
無意識のうちに先輩の足をゲシゲシ、手で押し退けていた。
「お前、照れてんの?そんな顔されると、ずっーと居座りたくなるな」
「鬼か、アンタは!」
玄関の方では朝也が、
「虎さん!これ、二人じゃ食いきれねぇし、艶夜さん呼んで鍋でもします?」
なんて、余計な声をあげている。
「ふざけんな、朝也!却下だ、Se……、っ……」
慌てて口を塞いだが、虎先輩は唖然としながらも腹を抑えて笑いを堪え、何を意味するのか俺にウンウンと二度三度頷いて立ち上がった。
「珈琲、ご馳走さん」
「……ぉ、おぅ……」
虎センパイの返事が無いからリビングへ戻って来たのだろう、朝也は、
「帰るんですか?」
と言ったが、その声音は多分に『俊平が余計なことを言って追い返したんじゃないですか?』の意が込められているように思えて、マグカップの底に残る珈琲に黙って視線を落とす。
「この後、仕事。午後入りにして貰ったけどイブだろ?夕方まで指名が殺到しててさ。デートのお嬢さん方の髪、綺麗にしてあげないと」
「売れっこ美容師も大変ですね」
「そーゆーこと。朝から悪かったな」
先輩はバイクを乗る時に良く革ジャンを着ている。きっと、和歌山から戻って、その足で荷物を届けてくれたんだろうと思うと、自分のとった言動の身勝手さが恥ずかしくなった。
「あのさ、センパイ!その……艶夜さんは?」
「荷解きしてんじゃね?」
「……鍋、しよっか。朝也が支度するから」
「ぶっ……!お前ね。まぁ、いいや。折角だけど今夜は遅くなるから」
「じゃ、明日!」
「だ~め、艶夜とSexするから」
ぁ゛……?
捨て台詞に「気ぃ遣うな、バァーカ」と言い残して廊下へ出た先輩を朝也が見送った。
ドアの締まる音がして静寂が戻る。フッーと息を吐き切ると朝也がリビングに戻ってきて、
「毎度の事とはいえ、嵐だな」
と笑う。
「買い出しに出るか。ミンスパイ、作るんだろ?」
「そうだった……」
「48個、作るか」
「ぇ?……ぁ、うん。俺が明日、届けるよ」
虎センパイと艶夜さんにもLuckyが訪れますように……。

「ねぇ、朝也、クランベリーは多めにしてね」

Happy Merry Christmas, with lots of love!⛄

thank you for all CC creators!
pose by @catsblob,@RJ,@DearKim

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俺に『待ち合わせ』の楽しみを教えたのは、朝也だった。
そして、やるせなさを教えたのも朝也だ……。

「お前ね。人を呼び出しておいて、それ何度目の溜息?」
「だって、イヴだよ?休日出勤なんて日本人は働きすぎだよ。その上、残業とかどうかしている。おかげでディナーもキャンセルとかなくね?大体さぁ……」
「あーハイハイ、それも何度目よ?面倒くせぇな」
電話一本で駆け付けたデリバリーフレンドはジンジャーエールをズズッと飲み干し、さっきから、俺をおざなりにあしらっている。不満この上ない……。
「絡み酒なら、俺、行くわ」
「どこに?四室さんも出張でしょ?どうせ、予定もないくせに」
「あんの」
「まさか、これ幸いに女のトコとか!あんた、気が咎めないの?」
「男ふたり肩並べて愚痴り合ってる方がどーよ?俺は引く手数多なの、お前みたいにぼっちじゃねーの、わかる?……ま、めかし込んでアテが外れたのは残念だったな?」
まったくだ……。
この臙脂えんじに黒のピンストライプが効いたシャツは俺には着こなせる自信があったから、朝也とのディナーのために買ったんだ。黒のベストとネクタイでピリッと締めて、フード付きの赤のツイードコートと靴紐をコーディネートすることで華やかな夜を演出したつもりだった。朝也はきっと『似合ってる』と笑うはずだったのに……。

bar

「別に……これは、俺も個展の挨拶があったから……」
嘘じゃない。けれど、ガッカリしてやるのは癪だったから俺は本心を明かさなかった。
「個展?俊平の?」
「……うん、京都でね。洋画家さんとの二人展だけど……」
「知らなかった」
「言ってないよ。皆、仕事だったし……」
「朝也にも?」
「うん。住宅展示場のイベントと重なったの。建築士の内見同行や相談会で色々忙しいみたい。家の机なんて資料やパンフレットが山積みでさ。……声、掛けられるわけないよ……」
「お前らしくねぇな、遠慮なんて」
「へっ……、大人になったでしょ」
一瞬、目と目が合って、先に動いたぶん勘所のいい虎先輩に消沈しているのを悟られてしまった。空気が動いて、先輩がバーテンダーにクランベリージュースを注文する。
「30分だけな」
何だかんだ言って、この男は優しい。
「酒、飲まないの?」
「俺、バイク」
「バッカじゃん?折角、この・・俺がイヴに誘ってやってんのに……」
「はっ、ていのいい子守じゃねーか……」
悪態をついたところで虎先輩はぐるりと店内を見回し、
「いい店だな?」
と、耳打ちしてきた。
「うん、朝也の行きつけ」
「へぇ……」
煌びやかな繁華街から10分も歩かない処に日も暮れて目を覚ます町がある。
細い路地を分け入り、ぽっかりと開いた黒い穴へ階段を17段数えれば、オレンジ色の小さな灯りに出迎えられて『Bar千櫻ちざくら』がある。
『重厚な扉を見ると押してみたくならないか?』
最初に朝也に連れて来られた時にアイツはそう言って笑った。
店名はオーナーバーテンダーの苗字から採られたと聞いている。ロマンスグレーの短髪に髭をたくわえ、スレンダーな身体に馴染む黒いシャツが色気のある初老の男性だ。左肩のやや下がっているのが研鑽けんさんを積んだであろう彼の実績を想像おもわせた。店内にはカウンター席とテーブル席が少し、バックバーには130種は超えるという酒が整然と並んでいて、どちらかと言えばオーセンティックな少し背伸びをしたくなる大人のバーだ。いつもは仄暗い店内が煌々と見えるのは壁に飾られた大きなリースと華やかなXmasツリーの目映さの所為だろう。流石にイヴとあって独り客はいない。
少し前から俺が気になっているのは、一つ向こうの席で真っ赤な顔をして頷いてばかりいる小太りの少々気の弱そうな男と楽しげな笑い声の絶えない飲みっぷりの良い女の二人連れだった。きっと、二人は恋人同士で男は今夜、彼女にプロポーズをするのだろう。……何故って?
男のジャケットのポケットを何か角張った小さな物が突き破りそうに尖らせていたからだ。
「……んぺい、俊平、鳴ってる」
横から肩を突かれて電話に気が付いた。……朝也だ。
「はい。……ぁ、うん。まだ終わりそうにない?そっか、お疲れ。……俺?気にしてないよ。仕事じゃ仕方ないし。……今?この前、お前と飲んだBarにいる。……うーん、折角だし少し飲んで帰るよ。一人じゃないし。……ぇ?うん、美人と一緒♡」
「ちょっ!俊平?!」
慌てた虎先輩が隣で俺を睨んでいる。
「……ほんとだって!脈アリっぽいの。イヴだし良いよね?だから気にせず仕事に専念してくれ、じゃあね」
声を聞くとイライラとかガッカリより会いたいが募る。一緒に暮らしているのに凄く長い時間、顔を見ていない気がして、あてつけがましい嘘までいて一方的に切ってしまった。
「鬼……」
虎先輩は「あーほ」と俺の後頭部を叩いて、犬の頭でも撫でるみたいに大きな手でガシガシと髪を乱してくる。
「朝也、嫉妬すると思う?」
「あー……?悪ぃ、しねぇわ」
「だよね。つまんない……」
「いや、そーゆー意味じゃなくてさ……」
「じゃ、どういう意味?」
虎先輩は其れには答えずにデニムのポケットに手を突っ込むと、皺くちゃの札をカウンターの上に置いた。
「やっぱ、間に合わねぇから行くな」
「えっ?本当に行くの?」
「お前、美人と飲んでんだろ?だったら、いーじゃん」
「……んだよ、嫌味だな」
俺は札を先輩の尻ポケットに捩じ戻して、背を強く押し遣った。
「あっれ?俺、後輩に奢られるわけ?」
「付き合わせたから」
「お前ね。うち帰って靴下吊るして、さっさと寝ろよ」
「ガキ扱いするな」
「不貞腐れたツラで飲むとか酒に失礼だ。十分、ガキだろ。じゃあな……」
最後のは結構、グサリときた。俺、そんな顔していたかな?

二杯目にウィスキーをオーダーすると、深い所にフルーティー感を閉じ込めたスモーキーな香りが鼻孔をくすぐって、やさぐれた気持ちがほぐれていく。それに、この日のチャームが可愛いかった。大粒の苺を半分に切ってサンタクロースの帽子と胴体に見立てた間に、たっぷりのホイップクリームが顔になって、チョコチップの円らな瞳が此方を見ている。食べるのが勿体ないくらい良く出来ていて皿を回して色んな角度から見ている内に、ふと、さっきまで虎先輩のいた席の下に四つ折りのメモが落ちているのを見つけた。
「……バカだな、あの人」
そこには、ひどい癖字でビジネスホテルの住所と電話番号が走り書きされていた。


………………………………………………………………

「俊平のドあほ、たぶん、朝也にはバレてる……」
美人と一緒なんて下らない出まかせを言って、仕事の邪魔はしない口ぶりの割に気を引きたいのはバレバレで、ほんとガキ臭くて憎めない。時計を見れば予定を40分オーバーで、
「俺も大概、甘いね……」
と、市街地を抜けた駐輪場へ走った。
かなり冷えこんでいてエンジンを温めるのに時間が掛かりそうだ。走りながらの暖気運転になるが回転数を安定させるまで堪えなきゃなんねぇし、気は急くけど仕方がない。安定したらアクセル全開だ。
目標は今夜中の到着。走行距離は片道120㎞ってとこ。抜群の機動力を誇る俺の愛車はメタリックブルーが効いた渋好みのボディで総排気量は399cm³、エキサイティングな加速を楽しめるゴキゲンなヤツだ。うっかり調子に乗って体力任せに飛ばしてしまいそうで、真冬とトンボ返りを考慮して、どんなに渋滞しても2回は休憩をとると初めから決めていた。

一度目の休憩は渋滞に捕まって神経を使ったから、少し早い目に取った。
インターチェンジの公衆トイレで艶夜から立て続けに5回の着信が入っていることに気付いたが、掛け直しても繋がらなかった。
俊平からの連絡に気付いたのは、2度目の休憩の時。メモを落とした事で行き先がバレてカッコ悪い思いをした。目的地の住所と電話番号、そして、最後に添えられた
『With best wishes for Merry Christmas.』
に、ニヤリとした。
「日本語で書けよな……」
腹が減っていたわけじゃないがハンガーノックを避ける為にサービスエリアのフードコートで食事をとり、逸る気持ちを抑えてたっぷり30分、足腰を伸ばしたりホットコーヒーを飲んで暖を取った。これを怠って疲労を溜めると何をしても回復は望めない。だから俺はペース配分は間違えないように気を付けているんだ。そして依然、艶夜は捕まらない。あの5回の着信きり何の連絡もないままだった。
真っ黒い空から、また雪が降り始めた。
民家も少ないのか遠くの景色は夜景というには寂しすぎたし、更にその向こうは漁船の小さな灯りがポツリポツリと光る黒い黒い海が広がっている。辺りは薄らと雪化粧して、ここは高台になるからか風が強かった。ふっーと息を吐いて、ここを最後に後は一気に目的地まで飛ばす。
路面凍結注意の電光掲示板を見るたびに減速して、ウインドスクリーンを上げて防風しても吹きっ晒しの風には慎重になるわけで、前に『無茶なライディングはするな』と艶夜に約束させられてからの俺は我ながら優秀なライダーだと思っている。

艶夜の宿泊するビジネスホテルに到着したのは日付も変わろうかというPM11:36。
想像以上に辺鄙へんぴな暗い通りに小さいが真新しい建物があって、タンクにしがみついて暖を取りながら、電話で艶夜を呼び出した。
呼び出し音の回数を1、2……と、8まで数えたところで、
「……虎?何度も電話したけど、その……特に用事ってわけじゃなくて……ゴメン……」
と、艶夜の悄然とした声がボソボソ言う。
「どうして謝る?」
「……っ、ぁ、そうだね……。今、ひとり?」
「独りだよ」
「……そうか。何してる?」
心なしか、ホッとした声に聞こえたのは気のせいだろうか?
「雪を見てる」
「大阪もついに降ったか……。温かくしてる?」
「温めてくれる?」
「……」
僅かな沈黙の後、艶夜の安心しきった吐息が漏れて、
「ほんとうに一人なんだね」
やっと、控えめな艶夜らしい笑い声がした。それを聞いて気付いた自分の鈍さにも呆れるが、まったく、この心配性な俺の可愛い恋人は……。
「女といると思った?」
「……」
図星か。まぁ、日頃の素行の悪さを思えば信用されていないのも無理はないが、イヴに恋人を不安にさせるほど俺は薄情でもないつもりだ。
「少し出て来れるか?」
と言うと、一瞬、間が空いて、
「……ぇ?」
戸惑う艶夜の小さな声が、寒さに堪り兼ねて吐き出した俺の「はあーっ」という息と重なった。
「限界。早く降りてきて!」
「何言って……」
「いーから、早く出てこい!あぁっ上着、上着を着てこいよ!」
ガタンッと何かにぶつかる音がして電話が切れると俺は車体を降りて艶夜を待った。雪は止んでも海風か微かに磯の香りがして、凍てつく風の強さったらない。
「虎!」
眼を丸くした艶夜の表情は俺の想像した通り、初めて出逢った高校生の頃の、あのリスのようにクルクルと潤うまぁるい眼だ。

「よぉ!来ちゃった」
「来ちゃったって……」
呆れ声で息を弾ませる艶夜の腕を捕らえ胸に引き寄せると、いつもなら恥ずかしがってイヤイヤをするヤツが腕の中でおとなしく抱かれている。
あったけぇ~……」
頬を摺り寄せ、人肌ってこんなにも温かいのかとウットリしていると、冷え切った身体が艶夜の体温を奪ってしまったらしい。グシュンと一つクシャミをして、腕の中のリスはぶるると身を震わせた。
「無茶ばかりして。風邪をひくだろ?」
「クシャミしてんの、お前の方だから。……キスしていい?」
「訊くの?」
「……訊かない」
俺のレザーの胸元を掴んで珍しく積極的に伸び上がる艶夜の唇に噛みついた。片手で腰を抱き留めても今夜は逃げる気はないらしい。竦み上がるほどに吸い付いて、艶夜の喉奥から、
「……ぅ、」
と、小さな呻きが上がった。飛びきり優しいキスがしたくなって艶夜のシャンプーの香のする髪を撫でる。いつもは躊躇いがちに彷徨う両腕がしっかりと俺の背に回され、その力の強さに男を感じた。すっかり冷たくなった髪と発熱しているんじゃないかと思うほど熱い頬……口腔に舌を割り入れると抱き留める身体がビクンと跳ね、静寂しじまに風の切る音と浮かされる息遣いしか、もう聞こえなくなっていた。
「好きだ」
と言って額にキスをすると、こくんと頷いても何も言ってくれないのは、いつものことだ。
「メリークリスマス」
と、囁くと、
「Merry Christmas」
艶夜はうつむいてしまう。
まったくシャイな男だと顔を覗き込むと、堪り兼ねたふうにクスッと笑って、
「ごめん……、すごい日本人英語だね」
そう、俺を揶揄からかった。
「ったく、何だよ~」
真っ黒い空を仰ぐと、ますます艶夜は可笑しそうに笑う。この声が好きだ。

名残惜しい艶夜の両肩を掴んで、
「じゃ、俺、帰るな……」
と、踵を返すと、
「今から?」
背中向こうで驚いた声がする。
「だって俺、明日……あぁ、もう今日か。仕事だし……」
「そう……だったね」
こういう時に理性の働きすぎる艶夜は引き止めることは自分の我儘だと口を噤んでしまう。
俺はそれが歯痒いこともあるが、その「らしさ」が愛おしくもあって、結局、足を止めてしまうんだ。身を切るような寒風に横殴りにされたところで、艶夜の犬のような「グシュン」をもう一度聞いて俺は振り返った。

「なぁ、艶夜……。1時間、休憩きく?」


………………………………………………………………

バカみたいに口を開いて空を仰いでいたら、

「俊平!」
と、大きな声がして朝也が走って来た。
「やぁ、おかえり……」
のんびり言って「そんなに走らなくてもいいのに」と言い足すと、朝也はゼェゼェと息を切らしながら首を横に振った。きっと本当に走って来なかったら、俺は機嫌を損ねただろうとチラリと思う。
吐く息よりも吸う息の掠れるのがクるとか言ったらコイツはどんな顔をして睨むんだろう?なんて想像をして、その顔にゾクリと節操のない股座またぐらが温まった。
「何を見ていた?こんな寒空の下で待たなくても……」
「あぁ、うん。星を集めていたんだ」
「星?……は、見えないだろう。今夜は曇りだ」
「それがね、こんなに集まったんだよ」
朝也の手に小さな巾着を一つ握らせると、俺のロマンチシズムに付き合って愛しいリアリストはクスリと笑った。
「金平糖か」
「うん。それは林檎の金平糖。純白で綺麗だよ。今日はね、どうしても食べてみたくて予約していたワインの金平糖を買いに行ってたの」
「……、そうか」
イヴの今夜はレストランやカフェも遅くまで営業していて、いつもより人通りが多い。
仕事疲れの艶を滲ませ、ネクタイの結び目に指を掛けた朝也が冷気を誘って目を細めるのを俺は夢うつつに見上げていた。時計台を臨む大きなクリスマスツリーの華やぎが噴水の水面を揺らしても、朝也ほど目映いものはないだろう。
「個展、行けなくて悪かった」
「知ってたの?」
「あぁ、まぁ……」
「そっか……。ぁ、もしかして、花屋にアレンジメントフラワーを頼んだ?白を基調にした花で、これぐらいの駕籠に入ってて……」
初日に差出人不明で届いた花は清楚で温もりのあるアンバーホワイトでまとめられ、絵画の邪魔にならない配慮が感じられる大きさだった。無名の新人を気遣って誰かが気を利かせてくれたのだと思っていたけれど、
「慣れないことをした」
と、苦笑いする朝也の気持ちが堪らなく嬉しかった。

気障きざもお前がすると嫌味にならないね。ありがとう。おかげで簡素な受付が華やいだよ」
「それなら良かった」
「今日が最終日でね、ほんとうは閉館後に貸し切りで見て貰える手筈を整えていたんだ。でも、残業だって言うから、搬出も終わらせてきたよ」
「残念だ」
「そんな顔しないでよ。また、次の機会に見にきて」
最初に『待ち合わせ』をしたいと言い出したのは俺だった。そして、待ち合わせにはアクシデントがつきものだと知って落ち込んだのも俺だった。そもそも身勝手な段取りで朝也を走らせたのは俺なのに、何の落ち度もない朝也がそっと肩を抱いて慰めてくれるんだ。
「お前こそ、そんな顔をするな。お互い忙しいクリスマスだったな」
ここは繁華街の喧騒からは少し離れた小洒落た広場になっていて中央に大きな噴水があり、周りを囲むように時計塔やカフェ、公園やレストランなどが建っていた。どこも既に満席らしく、レストランの表看板には御予約のみの断りすら出ている。華やかなイルミネーションや窓や壁を可愛らしく彩る装飾を見て回り、ふと、ブルックリンのダイカーハイツで見た派手なデコレーションを思い出した。もちろん、それには遠く及ばないが、朝也と二人で見るクリスマスツリーの煌きは俺には格別な物に見える。寄り添う肩の呼吸に合わせて微動するのを頬に感じながら、微睡みにも似た安らぎを覚えた……。
「人が見ているけど?」
「お前が、それを言うのか?」
「キス……してみる?」
「そうだな」
えっ?と声を上げる間もなく俺の髪を頭頂からグシャリと掴んだ手に上向かされ、唇が重なった。
たまに……ほんとうに稀に突然、積極的になる朝也のスイッチが何処にあるのか俺は未だに良く解らない。俺の髪をいじるのが好きな朝也の長い指が左耳のピアスに触れ、ビクリと身を震わせる。とっくに酔いは醒めているはずなのに、フワフワした頭がひどく甘やかな声を聞いた。

「俊平、今夜は帰したくないんだが……」
言っている意味が解らない。だって、一緒に暮らしているのに……?
「何?その三文芝居みたいな台詞……」
照れ臭くて思わず茶化してしまったけれど、朝也は俺の髪を撫でて、
「一度、言ってみたかった」
と、笑う。
「ふふっ、『慣れている』なんて言ったら、締めてやるところだった」
「定石通りで、つまらなかったか?」
「ううん?結構、グッときた。一度は言われてみるもんだね」
どちらからともなく絡めた視線は二人にしか判らない秘めごとの合図で、
「行くか」
「うん」
行き先は決まっているていで調子で歩き出した朝也の後をついて行くと、こちらを見もせずに俺のための手が差し出された。繋いだ大きな手に握り返されて心臓までキュッと掴まれたみたい……。
「ねぇ、考えたことない?あのオフィスビルの1つ1つの灯りの下に朝也みたいな残業ビジネスマンがいてさ。こんなにスケールの大きな夜景を作り出しているんだ。俺ね、さっき、お前と見たクリスマスツリーは特別、綺麗だと思ったけれど、このワーカーツリーを見たら霞んじゃうね……」
「それじゃ、差し詰め俺はオーナメントの1つというわけか」
「あぁ!そうなるね」
あははと笑って遠くを見遣れば、パッ、パパパッと消灯する窓が増えていく。
「……雪、」
と言う朝也の声に空を見上げると、はらりはらりと舞い来る雪が鼻先でスウッーと溶けた。
「どうりで……、雨の冷え方じゃないとは思っていたよ……」
「寒いことに変わりはないだろ」
繁華街のいろが近づいてきたところで朝也が路地へ折れる。一転して真っ暗な民家の裏通りを手を引かれて歩く。俺は夜目がきかないんだ。
駅とは逆方向だと思うけれど、ひょっとして迂回しても近道なのだろうか……?
「朝也、どこに行くの?」
「ホテル」
「ラブホ?」
「……っ、お前、安いな」
思わず噴き出したって調子で呑気に笑う朝也は舗装の崩れた道につまづいた俺を咄嗟に片腕に抱き留めたが、俺は耳許へ囁かれた言葉に目を丸くした。だって……、
「お前、ドラマの見過ぎじゃねーの?」
思わず声がひっくり返るほど贅沢なホテルをコイツは予約していたんだ。言葉遣いまで乱れて、けれど、一番跳ね上がったのは俺の心臓だった。
「朝也。俺、今、どんな顔してる?」
「すっげぇ、エロい顔」
俺を欲しがる唇が愉悦に口の端を引いて、噛みつくように俺の呼吸を塞いだ。
「……っ、ふ……」
髪を掴む手に動きを封じられ割り入れられた舌で歯列をなぞられると、息も絶え絶えに全身から力が抜けていく。彷徨さまよう腕を朝也の腰に絡め、首筋に歯を立てられるくすぐったさに身をよじると、受け身に慣らされた俺の身体は全く別のところでも火種を宿して終わりのない渇きを覚え始めた。
「と、……朝也、待っ……」
なけなしの理性でその胸に手をつくと、
「そんなに激しくしたら、俺、ここで脱ぎたくなっちゃうから!」
「……」
何、言ってんだ?と頭を抱えた時には、もう遅い。
朝也は呆気に取られた顔つきで、転瞬、俺を深く抱きしめたまま声を上げて笑い出した。俺は羞恥に震えているのか寒さに震えているのか判らないていで下腹の甘い疼きを持て余した。
「待ちきれないな」
朝也が執着心を口にするのは珍しい。
肩を抱かれて歩き出すと、クラクションが耳障りな表通りの賑わいが近付いてきた。
「朝也……」
「ん?」
「今夜はメチャクチャに抱かれたいんだけど……」
前を向いたまま、そっと朝也のコートの端を掴むと、
「俺は、たっぷり甘やかしたいんだが」
と、朝也は薄らと笑う。
だったら……、

「コーヒーシュガーのように愛して……」

はじまりは激しくビターに、
眠りにつく朝には、たっぷりと甘やかして……、
眩暈がしそうなアシッドカラーの煌きに顔を見合わせて笑った俺たちは、
そして、

……夜に溶けた。


I hope that your Christmas would be enjoyable and may the essence of Christmas remain always with you. Merry Christmas and Happy New year.

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先週の金曜日。会議室から吐き出されたところで、俊平から連絡が入った。
『虎先輩ん家にいる。帰りに車回せ。143』
何が『アイシテル』だ、便利扱いしやがってと口許が緩む。
これが全ての始まりだった……。

…………………………………………

Beau Talentボータロンで顔見知りのカメラマンがね、ハロウィンのイベント用にフォトジェニックな見栄えのする男を探しているって言うんだ。モデルを雇う金もないし、むしろ、素人臭さが欲しいんだって。だから、3人なら見繕ってもいいって言った」
「……は?」
Beau Talentは俊平が所属しているギャラリーだが、この話は、どうにも胡散臭い……。
「報酬は?」
「そうくると思った。朝也はリアリストだもんね」
「……」
そういう問題ではなく『3人』という事は先輩たちを巻き込む気満々という事だろう。俺一人なら未だしもタダ働きさせる気かと、悪びれるふうもない俊平に溜息をついた。この眼……ほだされそうな俺を見透かすように艶然と見上げてくるあざとさに口角が上がる。
「で……?」
「それがね、聞いてよ!彼のスタジオを無償で3日間、貸してもいいって言うんだ。個展が開ける。ねっ、いい話でしょ?虎先輩も四室さんも協力してくれるよね?」
困惑気味の艶夜さんは予想通りといったところだが、人に見られる事に何の気負いもない虎さんは好奇心旺盛な顔つきでニヤニヤと笑っている。
「それ、俊平の得にしかならねーじゃん」
「俺の得になるならいーじゃん!」
……話にならない。
そして、この環俊平という頭の螺子ネジが数本飛んだ新進画家は決まって大事な事を、一番、最後に告げるんだ。
「どんなコスプレにする?楽しみだね♡」

「「「はぁーーーー?」」」

……………………………………………………

「Boo!」
「おい、俊平?」
「Tomoya!Boo!To You,Too!Happy Halloween♫」
「お前、高校の頃はハロウィンなんて興味ないって顔してたくせに。服、裏返し……」
「いいんだよ。こうやって裏返しに着て、後ろ向きに歩くと魔女に会えるんだから」
「何だ、それ?」
「イングランドの古い言い伝え♪」
「成功率は?」
「Hmm……俺が朝也を袖にするくらい?」
「ゼロか」
「しょってるね、憎らしいやつ。……Wow Cute!朝也、俺、これにする♡」
「……、ドレス!?」
「ふふーん、絶対、似合うよ。朝也は執事ね。俺、一度で良いから、お前にかしずかれてみたかったんだ。ほら、着替えるの手伝ってよ。背中のファスナーを上げて♡」
まったく……楽しそうで何よりだ。
ハロウィン仕様に賑々しく飾られた写真館は思ったより広く、話が持ち上がってからの1週間、俊平はコンセプトを練り、通い詰めてセットを手掛けたようだ。この凡庸な人間には考えもつかないブッ飛んだ世界は、今、鏡の前で腰を捻って浮かれている男の頭の中でどう構築されて行ったのか、その才には舌を巻く。ピンクのフレアが一際大きく揺れて、くるりと俺に向いた瞬間、まんざらでもないと思ったことは黙っておこう……。
「お前に女装癖があったとはね……」
「朝也も着てみる?」
「恐ろしいことを言うな」
「似合ってる?」
「……それなりに」
衝立の向こうから、珍しく手を打って大笑いする艶夜さんが魔法使いの恰好で黄色い尻尾を追いかけてきた。逃げているのはトラネコの着ぐるみを着た虎さんだ。
思わず噴き出して睨まれる。
「なぁ、可愛い?」
「キモ……あぁ、はい」
「あれ?案外、不評?お前、着替えねぇの?」
「……ですね」
はしゃいでいる姫君と照れ臭そうな魔法使いと、どのポーズが可愛いかを模索する可愛くないトラネコを放って、俺も着替えることにする。
執事か……。今日は、この調子で1日、俊平に遊ばれるんだろうな。そう思うと馬鹿になるしかないという諦めの隅で沸々と滑稽な笑みが込み上げてくる。
なんだ……案外、俺も楽しんでいるんじゃないか。

「ねぇ、俺、可愛すぎない?」
「なぁ、俺、可愛すぎねぇ?」

自惚れの強い俊平と感覚のズレている虎さんは妙なところで気が合う。
二人で顔を見合わせたって、どっちも可笑しいだろよ。部屋の隅でチョロチョロしている艶夜さんの方が余程、可愛げがあって、どうも、マントの端を掴もうとして掴み切れないドン臭さが笑いを誘う。
「何をしているんです?手伝いましょうか」
「ぁ、うん……、さっき、そこで引っかけた気がして……」
「後ろ向いて……どこも破れていませんよ?」
「そう?良かった。神月は、この恰好どう思う?派手すぎるよね」
「似合ってますよ」
「お前みたいに着映えするといいんだけどね。……あ、プリンセスと目が合ってしまった」
声に促されて振り向くと俊平がドレスの裾を摘まんで見事な裾捌きで優雅に膝を折る。後で聞いた話では『カーテシー』というヨーロッパ伝統の女性の挨拶らしいが、まったく何でも身につけているヤツだと感心すらした。小首を傾げて愛くるしく笑って見せるのが男とは思えなくてドキリとする。気のせいか、いつもより柔らかな幼い表情に見えた。
「環は華やかだね。良家の子息はドレスの着こなしまで覚えるのかな?」
そんな艶夜さんの冗談に噴き出してしまうほど、確かに様になっている。
ドレスの裾を捲って中を覗いたりバサバサと揺さぶる悪戯なトラネコを品良くあしらう様は、さながら、中世の貴族の娘のように美しい。
やがて、トラネコにティアラを渡した姫君は此れ見よがしに口許を緩めると、スッと腰を屈めた。
「あれ?神月、獣に御株を奪われていいの?」
艶夜さんに茶化されて、
「いけませんね」
俺はトラネコの手からティアラを奪いに行った。



「何となく、違うんだよね」
甘すぎるのが嫌だと言って俊平が次にカメラマンに要求したのはシックなシルバーグレーにゴージャスな装飾を散りばめた着る者を選ぶドレスだった。シルエットの美しさがスレンダーな俊平に似合って……その、……透けた肌の艶めかしさが目の遣り場に困る。

「さっきとは、まるで別人だな……」
いつの間にか傍にいた虎さんが俺の耳元で「いい女」と笑う。
背筋を伸ばして斜にカメラを見る俊平は可憐だった印象をドレスごと脱ぎ変え、気高い様で口許に薄らと笑みを浮かべている。視線を落とせば愁い顔に目線を上げれば芯の強さを窺わせ、次の瞬間には匂いたつような蠱惑的な姿態で挑発的にカメラマンを見下ろしている。完全に撮られることを意識して表情を自在に操る様は俺を密かに驚かせた。
「朝也」
待機の姿勢を崩さないまま、凛とした声が此方も見ずに俺を呼ぶ。近づくと、
「手を貸せ。少し休みたい」
と、差し出した俺の手に、そっと手を添えた。
つくづく、人を使う事に慣れた人間だと思う。偉そうな口調はいつもの俊平なのに禍々しい属性に目覚めてしまいそうな魔性の香を身に纏っている。このまま何処かへ閉じ込めて直ぐにも犯したくなるような狂気を身の内に飼う……そんな嗜虐心をそそられる妄想を、まさか自分がするとは思わなかった。
「まいったな……。お前、わざとだろ」
セットに隠れて置かれていたパイプ椅子を一脚取ると、衝立の陰へ招き入れる。
「バレたか……」
俊平は妖艶に目を細めた。
「お前を従えるのは悪くない。こんな機会は滅多にないしね?……ほら、私を良く見て。椅子に座らせては下さらないの?」
湿り気を帯びた気取った女言葉も挑むように煽る嫣然とした笑みも、俺の狂気を駆り立てるには十分だった。自らの鎖骨を辿る白い指の行方を見守っていると、
「ねぇ、欲しくならない?」
と、僅かに伸び上がった俊平が舌先でチロリと俺の唇を舐める。
「あぁ……、優しくしてやれそうにないな」
俊平の喉を掌一杯に掴み、下顎骨かがいこつに触れた指で両側から力を籠めると、
「……ぁ、っ、……」
引き攣れた呼吸音を漏らして容易く開かせた唇の奥に無防備な舌が見えた。口を閉じることを許されないと理解った俊平が恍惚と俺を待つ間はキスなどしてやらない。
やがて吐く息よりも吸い込むことに集中し出した喉がヒューヒューと音をたて始める。解放を懇願する一際高い泣き声に肩を震わせた俊平が目も開いていられなくなると、俺はその瞼に接吻け、ゆっくりと舌を征服に掛かった。拘束を解いて、その腰を捕らえる。パッと目をみはった俊平の熱っぽいオニキスの瞳が潤み、ぐらりと理性を持っていかれそうな其の瞳を手で覆い隠した。たっぷりと甘やかすキスを仕掛けて、足元が覚束ない姫君を深く抱き留める。

「……ぅ、っん……ま、待っ……と、……」
だらりと垂れた両腕をなけなしの理性で俺の胸へと突っ張らせる。
その抵抗の無意味さなど、自分が一番、解っているだろうに……。

「……んっ……ん?んんんんっー!!」
突然、もがいて俺の胸を叩いた俊平は腕を逃れようと身を捩じらせ、この気丈な男には珍しく泣き出しそうな顔で俺を睨みつけた。
「……?」
「は、離れろ!」
「あ?」
あまりの慌てぶりに呆気にとられた俺に、衝立の向こうから虎さんの呑気な茶化し声が聞こえた。
「あーあ、あれは勃っちゃったな……」
マジか……。
「虎さん、そこにいたんですね?」
「どーも、すみませんね。可愛かったなぁ、アイツ……」
「様子、見てきます」
「お前、案外Sね。空気よめよ。艶夜が行った」
「……ですか」
「ですよ」

嗚呼、失態だ。機嫌、損ねたか……。



「艶夜、俊平……落ち着いたか?」
「うん、もう笑ってる。先に着替えたの?少し待ってて」
先輩たちの会話を耳にしながら、俺は少し離れた椅子で俊平が戻るのを待つことにした。

虎さんは角を付けたがって、けれど、艶夜さんは外したがって、胸のタトゥーも無い方がいいとか有った方がカッコイイとか、この二人は互いに遠慮が無いようで結局、最後には虎さんが折れてしまうのが意外だった。惚れた者の負けってことか……。
神父は天使の羽を持つが地上の役目に捉われて自由に飛ぶことが出来ない。そんな天使を見初めた悪魔は夜な夜な教会を訪ね、いつか、天に還るであろう天使の羽をむしり取る。
悪魔の狂愛に翻弄される堕天使、それが此のコスプレのコンセプトだと俊平は言っていた。

「虎先輩の強靭な体躯は男も見惚れるほどに美しい」
しゃあしゃあと俺を前に言った俊平の言葉が甦る。
「艶夜さんのストイックな顔立ちは、そう有れば有るほど淫らなんだ」
本人を前に言ってのけた俊平の言葉に絶句した艶夜さんの顔を思い出す。……成程。
「触っていい?」
それが艶夜さんの言葉だったことに少し驚いた。
ひたと虎さんの胸筋に手を触れて人差し指でへそまでツツッ……と辿りながら、
「また、鍛えたね」
と、感嘆の声を上げる。彼に俊平のようなあざとさが有るとは思えないが、無意識に虎さんを煽っていることに、まるで本人は気付いていないんだ。
「それはそれで、罪深い天使サマだな……」
撮影の間、俊平は戻って来なかった。
「肩に寄り掛かってみ」
と、虎さんが艶夜さんの頭をそっと抱き寄せ、零れる髪を整える。その仕草が余りに優しくて、本当に大事で大事で堪らないのだと口許が緩んだ。
「朝也、そこでニヤニヤしてんじゃねーよ。見るな、バァーカ」
「してませんよ」
「虎、口が悪い。神月、ごめんね。でも……恥ずかしいから席を外してくれないか?」
「わかりました。俺も次の支度をしてきます。あれの機嫌も見て来ないと……」
カメラマンのシャッター音を合図に俺はそっと表へ出た。


「その、さっきは……」
「謝るな。俺は朝也が謝るところなんか見たくない」
「いや……」

「自業自得だと思うんだが……?」

「What did ya say?」
背後から肩を掴んでくる手にギリッと力が入る。気色ばんで声を低めても俊平が怒っていない事は鎖骨から肩峰を探る指の動きで判る。甘えたい時の癖だ……。
「煽ったのは、お前だ。爪を立てるな」
「ねちっこいんだよ……」
「勃つとは思わなかった」
「お前が焦らしたから」
「焦らされるの好きだろ?」
バシッと音の立つほど上から両肩を叩かれた。何て可愛いヤツ……。
そっと目隠しをされて、
「本当のこと言えよ」
背中に温かい重みがのしかかる。
「……欲情したろ?」
男を忘れそうに滑らかな指が、こめかみから頬を喉へと撫で回していく。蜜事を囁くように、ねっとりと凄艶な声音が薄ら笑いを浮かべて言った。
「さっき、控室で鏡を見てわかったんだよ。俺、すっげー綺麗だなって……」
この男の、こういうところが俺は堪らなく可愛い……。

俊平から砂糖入りの紅茶のような香りがする。
「香水?」
「誰のせいだと思ってんだよ」
はは……、ヌいてきたのか。
エチケットを怠らない繊細さが俊平らしい。瞬きする間にも姿を消してしまいそうな、いつものミステリアスな香りより、貪欲な「性」を感じるウッディな香りがセクシーだ。
「背伸びしたな?」
そう笑った俺に、惹かれてやまない雄弁な瞳が一層、大きく輝いた。
「あぁ。……もっと、俺を欲しがれ」


「はぁ~。何をやっても、お前は汚れない」
海賊にしては身綺麗すぎると俊平に溜息をつかれ、言われるが侭に着替えたが、何とも理不尽な言われようだ。デザインが派手とか似合っていないなら分かるが、
「その綺麗な目を隠せ。顔が端正すぎるんだよ、そんな海賊いるか!」
なんて臆面もなく小っ恥ずかしいことを喚くから、虎さんは「うるせぇよ」と逃げ出すし、艶夜さんは「腹が捩れる」と笑ってばかりいる。結局、渋みのある色に落ち着いて俺も悪くないなとホッとした。王子に真っ赤な花飾りという俊平のセンスには度肝を抜かれたが、この男はつくづく魅せ方を心得ていて匂いたつ色香を悠然と纏っている。

「これにも、コンセプトがあるのか?」
真っ赤なソファに斜に掛ける俊平は俺の態度を偉そうだと笑うが、行儀悪く股を開いて寛いでいてもコイツがノーブルさを失わないのは、隠しきれない出自の良さというものだろう。
「周辺国を荒らす海賊の頭領を捕縛した英明なプリンスが凱旋するんだ」
いきなり、ちょっと待てと異を唱えなくなるシチュエーションだったが、俺は無言でいることで続きを促した。俊平の表情が翳ったのが気になったからだ。物語の展開がと言うより何か自身に思うところが有るように直感したからだ……。
「武功を讃えられた王子のパレードに民衆は沸き立つけれど、彼は浮かない顔をしている」
「何故だ」
「……出逢いを間違えたから、かな?愛してしまったんだよ、牢に繋がれた海賊を……」
窓から差し込む西日にうら寂しい声を溶かした俊平は物語に想いを馳せて遠くを見つめている。
「その海賊は自分の意志で逃げようとしなかったんだな」
俺は疑いもなく、そう言い切った。それが、俊平が欲している答えに思えたからだ。
「王子も逃がそうとしなかった」
すぐに、俊平の意志の強い声が続く。
「方途を見出すため?」
「そんな立派なものじゃないよ。エゴだ。ただ、手放したくなかったんだ」
「海賊は処刑されるとしたら?」
「……それでも、……うん、どうしただろうね……?」
俊平は片膝を抱えて顔を埋めてしまったが、その問いかけには、きっと既に答えが用意されていた。
恐らく王子は海賊を手放せなかったのだろう……。いつだったか、俊平が激しい感情を俺にぶつけてきたことがある。
『他のヤツに笑いかけるお前なんか、見たくねぇんだよ!』
横暴にも聞こえる独占欲だったが俺は嬉しかった。何故か、その時の声が王子と重なって、海賊は死を本望と受け入れただろうと柄にもなく感傷的な気分になる。
「海賊も王子を愛した」
ふと、ぽつりと口に出た。
「……そう思う?」
「違うのか?」
「答えが見つからない」
俊平が時折見せる自嘲含みの笑み……。こんなふうにしか笑わせてやれないのは俺に何が足りないのかと胸が苦しくなる。この物語は俊平が自身に問いかけた俺たちの物語なのかもしれない。虎さんたちの『悪魔が愛した堕天使』と、俺たちの『海賊を愛した王子』の物語。
罪……。
それが、俊平が考えた二つのシナリオの共通テーマだったのだと今になって気が付いた。
許されざる愛、禁忌の愛……、俊平は俺との関係をそんなふうに思っているのだろうか?
「なぁ、俊平。王子は海賊の処刑を見届けたと思うか……?」
何となく聞いてみたくなって、俺は俊平の肩を抱き寄せた。
「ねぇ、朝也。男が肩を抱く心理って独占欲の現れだって知ってた?」
「は?」
「ううん。そうだなぁ……?見届けたと思うよ」
「そうか」
「……うん」
その胸に何を思うのかは判らないが、俺の肩に顔を埋めた俊平は其の感受性の強さが創り出した自分の世界で、こうも深く傷ついてしまう。
「ねぇ、朝也。海賊は王子を恨んで死んだと思う?」
「いいや?思わない」
「どうして?」
「至高の宝を手に入れたからだ」
救い……いや、希望か。王子に愛された海賊は其の尊い感情を身の裡に知る。恐らく歓喜の瞬間だっただろう。小首を傾げて真剣な面持ちで考え込んでいる俊平をグイと膝の上に引き倒すと、不意をつかれて容易く態勢を崩した俊平が目を丸くして俺を見上げてくる。
「び、びっくりした……」
「なぁ、俊平。刑の執行を前に、かの王子は海賊に一言も無いのか?」
「へ?」
「最高に、お前らしいハッピーエンドを用意してみないか?お前が王子なら海賊をどう口説く?」
パッと目を見開いた俊平は其のクルクルと良く表情を変える大きな瞳を爛々と輝かせ、俺の首に噛り付いてきた。勢いが過ぎたか弾みでスプリングの効いたソファが軋み、抱き留めた腰の細さに喉が鳴る。カメラマンがいなけりゃ、速攻、押し倒してキスをしていただろう。こんな時に俺は自分の理性の強さを恨めしく思う……。

「I allow for you to love me through the life.」

私は生涯、貴方が私を愛することを許します。……だと?
つまり、俺に一生をかけて俊平を愛することを許すと言うのか。
何てコイツらしい照れ隠しかと、堪り兼ねてキスをした。
「もっと、素直に言えないのか?」
と、耳打ちすれば、微かに体温を上げてクスッと笑み零れる。

「You take my breath away.」

息も出来ないくらい、朝也が好きだよ。……と。
今夜、この熱烈な口説き文句にどう応えてやろうかと、俺は、ほくそ笑む……。



「Happy Halloween♪Cheers!」

ゴキゲンな俊平の掛け声で始まったのは場所を移してのハロウィンパーティーで、料理の殆どを俺と虎さんとで作った。俺はパエリアやカナッペ、カプレーゼなどカクテルと相性のいい軽く摘まめるものが中心、虎さんは和食が得意で腹に溜まる竜田揚げや煮炊きものを手際よくテーブルに並べていく。
もっぱら、皿の出し入れは艶夜さんが一人で奮闘していたが、俊平はキッチンの隅で床に足を延ばして座り込んだまま動かなかった。
「俊平」
と、声を掛けても、まったく聞いちゃいない。そんな俊平を甘やかす艶夜さんは「シッー」と声もなく俺を制止し、首を横に振って、ただ笑って居る。
「アイツ、いつも、あんな調子か?」
気の短い虎さんさえ何も言わないのは、俊平が夢中で鉛筆を走らせていたからだ。
10分に一度はページを捲っているんじゃないかというスピードで、ずっと、スケッチブックに噛りつき、俺たちを描いていた。
「環は本当に画家さんなんだね」
という艶夜さんの感嘆の声は茶化した訳じゃなくド天然に大真面目な発言なのだが、俊平には伝わらなかったらしい。口を尖らせて、
「だったら、次の個展、見に来てよ。招待する」
と、挑発的に言った。
「ついでにペアチケにしろよ」
という虎さんの調子のいい言葉に「いいよ」と俊平は笑う。
時々、俺は虎さんを緩衝材かんしょうざいのような男だと思うことがある……。


「これ、旨い」
俊平が喜んだのは虎さんが作ったカボチャのコロッケだった。普段、サツマイモのレモン煮は白飯に合わないと文句を言うヤツが、どうしてカボチャのコロッケだと旨いのかが解らない。
「お前、甘い味と米は合わないと言わなかったか?」
「……言ったっけ?」
はっ……、この程度の味覚だ。
「揚げりゃ、大抵のものは食える」
見かけの割に繊細な料理をする虎さんがやっぱり見かけ通りの大雑把な回答をして、それが頷ける回答だったから俺は笑ってしまった。

皆、酒が入っているから饒舌で、その夜は遅くまでコスプレパーティーに興じた。
きっと素面だったら、シャイな艶夜さんは真っ先に「仮装は終わりだ」と脱いでしまっただろう。
「俺、2人の撮影、見たかったな……」
俊平が艶夜さんの神父姿が似合うと言って、鏡の前で背後から羽交い絞めにチョッカイを出している。来年は自分が悪魔をするから一緒に撮って貰おうなんて言って、艶夜さんの溜息がキッチンにまで届いて来そうだった。虎さんはカウンターに片肘ついてグラスを傾けながら、そんな二人を穏やかに見守っている。
「そういえば、俊平。あの時、全然、戻って来なかったけど、どこにいた?」
俊平の緊急事態を真隣りで覗いていたくせに、虎さんは意地の悪い顔で揶揄っている。
「俺もゴメンね。虎に環が気分が悪そうだから見てこいって言われたのに撮影に呼ばれて、一人で置いてっちゃって。ドレスの締め付けが苦しかったんだろ?着替えるのに一人じゃ、大変だったよね。気が利かなくて本当にごめん……」
「あ……、えっーと、大丈夫です」
動揺している俊平と目が合うと怖い形相で睨まれた。それに気づいた虎さんがトドメを刺す。
「そういえば、俊平。お前、あのドレスってパンツ履いてた?太腿のキワドイところまで足が透けてドキッとしたっつーの。胸もねぇのに結構キたわ。なぁ、朝也?」
「え、ぁ……はい」
俺も多少は気になっていたんだが、この人は遠慮がないというか無神経というか……まったく、どんな顔をしていいか判らずに俊平の様子を窺うと……窺うと……?
この日、一番、大きく見開かれた俊平の眼を見て、まさか……と、空気が凍り付く。
「は、履いていたよ?一応。ノーパンだったら俺だって持つモノ持ってるからね?ちょっと、工夫がさ……。そこ、聞く?」
「聞く」
すかさず言った虎さんに、流石の俊平もたじろいた。
「俺、アンタのそーゆーとこ、軽蔑する♡」
「だよなー?あははははっ」
「でも、楽しかったよね。違う自分になれるっていうかさ」
「お、流石、艶夜、いいこと言う!」
「もう、虎、飲みすぎだから……これ以上、セクハラ発言したら外に出すからね?」
「朝也、いつか俺に純白のドレス着せてよ!そしたら今日のこと帳消しにしてもいーよ?」
「は?」
「朝也のスケベ、あはははっ、お前も好きだねぇ」
「虎、何、言ってんの?神月、ごめんね」
「いーのいーの、艶夜さん。俺が悩殺しちゃったの。朝也、俺にもカクテル作って♡とびっきり、スウィートなやつ♡」
「お前、いつも先に寝ちまうくせに……」
「何?寝かしてやればいーじゃん。朝也、お前この後、俊平に何しようっての?」
「また、虎は、そういうことを言う!」


夜も更けて……。
まだまだ、パーティーは終わる気配もない……。

あー……疲れた。
明日も晴れるかな……?

Have a happy Halloween!

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